組織や集団の主流派にいる人間こそが、革命をなし得る。なぜなら、現状の課題や解決に向けた複雑さと、権力の使い方や限界をよく知っているからである。一見舌鋒鋭く批判ばかりして、自分は火の粉を被ろうとしない無責任野党は、問題の実態や責任ある立場で直面する矛盾を知らない。本気で改革やマネジメントをしたい人は、野党の批判など適当に聞き流し、常に与党に身を置かなくてはならない。

日本で反主流派が革命に成功するケースは殆どない

 一般には、「革命は周縁から始まる」と言われる。大企業や大組織の中心にいて実権を握っている主流派は危機感が薄いため、革命を実行できるのは組織の周縁にいる非主流派だ、というわけだ。

 しかし私に言わせれば、ある組織や集団の主流派にいる人間こそが革命をなし得る。なぜなら、主流派と呼ばれている人たちほど、このままの体制ではまずいことを実はいちばんよくわかっているからだ。主流派、言いかえれば与党的な立場にいるからこそ、権力の使い方や権力の怖さ、権力の限界もよく知っている。日本的革命というのは、得てしてその主流派の中にいて与党的に考え行動する人々から、体制内改革派が生まれて成し遂げられる場合が多い

 負け戦になっているかどうかは、組織の中心にいる人間がいちばんよくわかっている。明治維新を見ればわかるだろう。

 あれは士族階級が起こした革命だが、結果として、士族階級そのものを解体してしまった。維新を主導した下級武士たちは幕藩体制に組み込まれながらも、このままの体制では日本はだめになる、欧米列強にやられてしまう、負け戦は間違いないと気づいていた。加えて、彼らはその藩の中では、まずは主流派になることで力を握り、その力で徳川幕藩体制を倒している。体制の一員でありながら、体制を否定するという強烈な矛盾の中で、維新の歯車を回していったのである。

 日本では、主流派と反主流派が権力闘争をして、反主流が勝つことで体制が変わるケースは、あまりない。支配階級と被支配階級が分かりやすく階級闘争をして、被支配階級の革命軍が勝って体制が変わるというケースもない。

 有史以降、大化の改新から源平の争い、南北朝時代、そして明治維新と、体制の転換の構図は複雑怪奇、どちらが守旧派でどちらが改革派か、コロコロ節操もなく入れ替わる世界だ。昨日まで尊王攘夷で、開国派の幕府を批判していた連中が、権力を握ったとたんに勤皇開国にコロッと変わってしまう。イデオロギーだの原理原則だのあったものではない。