2012年8月に「税と社会保障の一体改革」が成立して以後、生活保護制度に関する議論は、日毎に活発かつ具体的になっている。
そもそも、生活保護制度が保障しているはずの「健康で文化的な最低限度の生活」とは、いったい何だろうか? 生活保護基準とは、どのような基準であるべきなのだろうか?
今回は、厚生労働省・生活保護基準部会と、生活保護基準引き下げに反対する弁護士・司法書士の思いを中心に紹介する。
「再起へのバネ」でもあった生活保護制度は
過去のものになってしまうのか?
2006年夏のある日、筆者は居住地である東京都杉並区の福祉事務所で、自分の窮状について相談していた。
2005年に発生した運動障害のため、筆者は一時的に数多くの収入機会を失った。同時に、車いすなどの補装具に関する出費が増大した。経済的にも社会的にも精神的にも追い詰められた筆者は、社会福祉協議会の貸付を受けられないかと考えていたのだった。しかし当時の筆者は、社会福祉協議会と福祉事務所の違いが分からず、誤って福祉事務所に行ってしまった。
丁寧な態度で相談に応じた同世代の女性ケースワーカーは、その場で「権利なんですから、利用して下さい」と生活保護申請を勧め、生活保護費の計算結果と申請書を手渡した。自分が受給できる生活保護費を知った筆者は、「え? こんなに? この金額なら、充分に態勢を立て直せる」と思った。そして「ダメでもともと、もう少し頑張ってみよう、最後には生活保護があるんだから」と明るい気持ちになった。その後、状況を打開するために積極的に動きはじめた筆者は、さまざまな機会に恵まれた。現在のところ、生活保護は一度も申請せずに済んでいる。
生活保護基準は、不充分ながら、憲法第25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を実現してきた。現在は、生活保護費の範囲でも、ささやかな余裕をまったく生み出せないわけではない。余裕を生み出すための工夫は、自信につながる。その自信が、再起や向上のための試みを支えてくれる。そんな生活を思い描きながらの日々が、暗いものになるわけはない。適切に運用されているセーフティネットは、実際には利用しない人に対しても、精神安定剤や元気の源として機能するのだ。
筆者は今、「自分の経験を、過去の『良かった時代』の話として語りたくない」と切実に願いながら、この記事を書いている。6年前の自分と同じように追い詰められている方々は、今この瞬間も、日本に数多いのだろう。そういう方々にとっての光となる制度が、さらに明るい光として輝く近未来であることを心から願いつつ、毎日、生活保護制度改革に関するニュースを読んでいる。