貸手が気前よくなったら経済は要注意。

 これは経済を観るときの私の重要な視点の1つだ。

 故・速水優氏が日銀総裁に就任した直後にも私は同氏にそう言った。

「気前が良すぎる貸手が現れたらそれは大きな異変です。貸手が借手に頭を下げて借りてもらうのは経済法則に著しく反する行為だからです」

 速水氏は細川政権当時、経済同友会の代表幹事をしていて、細川政権の改革全般を強力に支援してくれていた。日銀総裁としても「円高」と「規制改革」には一家言を持つ硬骨漢であった。2006年の量的緩和の解除により景気後退のA級戦犯のように言われるが必ずしもそうではない。私はその直後に、規制改革を進めない政府に記者会見でボールを投げ返す必要があったと感じて彼にそう言った。政府が必要な経済政策を推進して、はじめて金融政策を転換できるという意味であった。

 さて、素人同然の私が日銀総裁に前述のようなことを言って実に失礼だと反省したが、彼は私の話を真剣に聞いてくれた。

 日銀という高台から見張っていて、貸手が金を持って借手を追いかけている。私のイメージはそんなところであった。もしそんな現象を発見したら半鐘を鳴らして警告すべきだと言いたかった。

「借りてくれる」は危険なサイン

 私は80年代末のバブル最盛期に、ある農協役員にこう頼まれた。

「金を借りてくれる人がいたら紹介してください」

 このとき私は「借りてくれる」という言葉に強い違和感を持ち、その後幾日も考え込んでしまった。

「貸してくれる」ならわかるが、「借りてくれる」はおかしい。「貸してくれる」は古代の人でもわかるが、「借りてくれる」は理解できないだろう。