お金の登場によって社会はどのように変化してきたのか?そして、お金自体の存在意義や役割は時代とともにどう変化していくのか?東京大学経済学部名誉教授・岩井克人さんと、『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』の著者・山口揚平さんの対談は、いよいよ「お金とは?」というテーマの核心に迫る。
お金がなくても成り立った、かつての「贈与社会」
山口 お金を使うという行為が純粋な投機であるとは、かねてから先生が貨幣論において展開されてきた説ですね。
岩井 そうです。純粋な投機だからこそ、インフレが進んで将来的にその価値が下がっていくと予想すると、誰も受け取らなくなります。すると、いっそう価値の低下に拍車がかかるという悪循環が生じ、ハイパーインフレへと至ってしまいます。お金は純粋な投機ゆえに、こうした危うさを秘めているわけです。
山口 一般的にはあまり目が向けられていませんが、日頃から私は世界の実体経済の何倍に相当するマネーが供給されているのかを注視しています。実は、リーマンショック前には、通常の8~10倍もの規模になっていました。そこまで達するとバーストして金融収縮が発生するわけですが、お金は交換価値が高いだけにしばらくすると再び増えていって、やがては実体経済を大幅に上回る規模まで膨らみ、またもやバーストしてしまう。その繰り返しになっていると感じるんですよね。
岩井 お金そのものと金融とは違うものだと私は思います。先程、株式のみならず商品先物取引や金融派生商品にしても、最終的には実需に結びついているという話をしたとおり、金融の場合は、必ずどこかで実体経済とつながっています。そして、あまりにも投機マネーが膨らんで実体経済とかけ離れた状況になってくると、バブルが弾けて実体経済に収れんしていきます。ところが、お金の場合は、実体経済のどこともつながっていないんですね。ですから、お金に関しては、自由放任主義は不可能で、中央銀行によるコントロールが必要になるのです。