お金とはいったい何か?社会においてどのような役割を果たしていて、私たちはどのようなスタンスで接するべきなのか?『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』の著者・山口揚平さんが同著の主題でもあった「お金」について、東京大学経済学部名誉教授で貨幣論の権威である岩井克人さんから、長年の研究と思想の一片を聞き出す。

他の人がお金として受け取ることで、価値が生まれる

山口 先生の一連のご著書はもちろん拝読してきましたが、改めてまず伺いたいのは、「お金とは何か?」というテーマについてです。先生はお金をどういったものであると捉えているのでしょうか?

岩井 お金は交換の一般的媒体です。すべてのモノは基本的にはお金と交換に手に入れることができる。それは、人類が生み出したものの中で最も抽象的な媒体です。多くの人はいま起こっているキャッシュレス化はお金が消える過程と言っていますが、お金の本質を理解していない。そもそもお金はこの世に発生した時点から抽象的なものでした。

山口 具体的には、お金のどういった側面が抽象的なのでしょうか?

岩井克人(いわい・かつひと)1947年生まれ。東京大学経済学部卒業、マサチュセッツ工科大学Ph.D.イェール大学助教授、コウルズ経済研究所上級研究員、プリンストン大学客員准教授、ペンシルバニア大学客員教授、東京大学経済学部教授等を経て、現在、国際基督教大学客員教授、武蔵野大学客員教授、東京財団上席研究員、東京大学名誉教授。著書に、Disequilibrium Dynamics(日経図書文化賞特賞)、『ヴェニスの商人の資本論』、『貨幣論』(サントリー学芸賞)、『二十一世紀の資本主義論』、『資本主義を語る』、『会社はこれからどうなるのか』(小林秀雄賞)、『資本主義から市民主義へ』ほか多数。(写真・住友一俊)

岩井 よく考えると、お金とは非常に不思議な存在です。お金のお金としての価値は、お金のモノとしての価値を必ず上回っています。かつて金本位制の時代には、お金の価値は金のモノとしての価値に支えられていると考えられていました。でも間違えです。なぜなら、もしも「金のお金としての価値」が「金の金としての価値」を下回ったら、誰しもその金を手放さないで、モノとして使うからです。つまりお金として流通しない。金がお金として使われた途端に、「お金のお金としての価値」が金の価値を上回ってしまいます。

山口 それは当然のことですよね。

岩井 言い換えれば、お金の唯一の価値とは、他の人がお金と認識して受け取ってくれることにあると言えるでしょう。つまり、自分が使うからではなく、他の人が受け取ってくれることで価値が生み出されるという性質のものなんです。しかも、また別の人が受け取ってくれると信じているからこそ、その人はお金を受け取るわけです。

山口 言語もそれに近い側面がありますね。

岩井 はい。言語もモノとして捉えた場合は空気の振動であったり、インクのシミにすぎない。だが、それは「意味」をもつことによって、大きな力を発揮する。でも、その意味とは、同じ言語を用いる人たちの誰もが意味として受け取ってくれるから意味でしかない。たとえば、同じ日本人なら「水」という言葉を「水」として理解してもらえる。