いよいよECB(欧州中央銀行)でも、量的緩和がカウントダウンになってきた。22日のECBの政策決定会合で、量的緩和の導入への動きになってきた(本稿執筆は21日)。

 かつて、中央銀行の手法として、量的緩和には効果がない、副作用が強すぎてハイパーインフレになるという二つの極端な批判的な意見が多かった。特に、日本では、著名な学者が批判論者であった。

 実は、量的緩和の先駆者は、先進国でいち早くデフレに陥った日本だ。日本では、デフレ解消の策として2001年4月から実施された。筆者は、小泉政権で竹中平蔵大臣の補佐官をしており、政権内で量的緩和の有効性を説き、弊害がないことを指摘していた。当時の日銀の量的緩和の問題点は、量の面で不十分であったことだ。

 ところが、量的緩和そのものに反対している学者やマスコミが多く、2006年3月に量的緩和を解除してしまった。筆者は、これを批判し、デフレが遠のくことを予測し、それは的中した。

 その理由は単純で、形式的なインフレ率0.5%、物価指数の上方バイアスを考えるとマイナス0.1%というデフレ状態なのに、量的緩和を解除し金融引き締めをしてしまったからだ。

 この事情をよく覚えていたのが、当時の安倍官房長官だ。安倍氏は、今回2度目の総理になった後でも、当時の量的緩和の解除は時期尚早で失敗であったといっている。

日銀の失敗を教訓とした英米

 どうして、インフレ率がマイナスなのに、量的緩和解除したのかというと、今のような2%インフレ目標がなかったからだ。デフレ志向が強い、当時の日銀にとって、インフレ率がマイナスで金融引き締めすることは当たり前だったのだろう。

 その当時、マネタリーベースの拡大が一定のラグで予想インフレ率を高めると、実質金利が下がって、ラグを伴って実物経済に波及し、2年程度あとのマクロの名目GDP成長率、失業率、賃金上昇率、インフレ率が決まってくること、その過程で株価や為替が決まることを理解している学者はほとんどいなかった。