「トップ・マネジメントの教科書」CEOとCFO その新しい関係
2016年4月8日 

日本企業初のCFOに学ぶ実践知【後篇】
CFOは企業価値と理念の守護神である

伊庭 保・元 ソニー CFO

敗戦直後の1946年に誕生したソニーは、イノベーションを軸に日本の「電子立国」化を牽引してきただけでなく、財務戦略や経営革新においても勇気あふれる挑戦をしてきた。実際、アップルのスティーブ・ジョブズ、アマゾン・ドットコムのジェフ・ベゾスをはじめ、世界的IT企業のお手本(ロール・モデル)ともなってきた。まだ記憶に新しいが、出井伸之氏が社長から会長兼CEOに就任すると、伊庭氏はCFOから外れ、副会長に棚上げにされる。その時期と軌を一にして、ソニーは凋落の一途をたどっていく。それは、CFOが伊庭氏の定義するように機能できなかったことも一因であろう。(聞き手/DIAMOND MANAGEMENT FORUM編集室 森 健二)

コロンビア映画買収後の
ガバナンスを正す

――1992年にCFOに着任されてからのもう一つのやっかいな問題に、コロンビア映画買収後の乱脈経営がありました(注1)。ハリウッドという巨大なコンテンツ・ビジネスと異文化の風土の中で、どう対処されましたか。

 これはかなり大賀さんに責任あり、と思っているのですが、大賀さんは日本のCBS・ソニー(現ソニーミュージック・エンタテインメント)という合弁会社の経営を、盛田さんから託され、みごと成功させたわけですが、その時、ソニーにもCBSにも口を出すなと徹底させました。

伊庭 保
元 ソニー CFO
東京大学法学部卒業後、1959年ソニー入社。海外企業との特許訴訟など法務畑に携わる。外国部を経て、1978年欧州現地法人ソニー・オーバーシーズS. A. 総支配人に。1983年ソニーファイナンスインターナショナル社長、1986年ソニーの資材管理本部長。1988年ソニー・プルコ生命(現ソニー生命)社長となるが、1992年のソニーの経営危機に際して、当時社長の大賀典雄氏に呼び戻され、専務・総合企画グループ本部長として再生を担う。1994年副社長、1995年CFOとして活躍。1999年ソニー・コンピュータエンタテインメント会長。2000年ソニー副会長に就任。2001年ソニー顧問。同年ソニー銀行会長、2004年ソニーファイナンシャルホールディングス会長兼社長、2006年ソニー顧問退任。

 その成功体験に基づいて、エレクトロニクス以外で新規事業を始める時には、そこの経営者に自主独立で任せる、というのが大賀さんの哲学でした。ですから、映画会社も、現地法人のソニー・アメリカ社長のマイケル・シュルホフ氏とピーター・グーバー氏に任せることになったのです。そして、「ソニーの人間はカルバーシティ(当時のコロンビア映画の本拠地)に行くな」と厳命しました。

 シュルホフ氏は、飛行機の操縦など大賀さんと共通の趣味もあって、取り入るのが巧みでしたが、我々から見ると、お金の使い方や意思決定のやり方で首をかしげざるをえない面がいろいろありました。

 特にソニー・アメリカのニック・ヘニーという会計士出身の優秀なCFOは、早くから問題を指摘し、本社スタッフに警告を発し続けていました。ですが、シュルホフ氏はもちろん、本社の首脳陣もなかなか耳を傾けてくれないので、風車に何度も挑むドン=キホーテの絵を自分の部屋に掲げていたほどです。

 我々もいろいろ議論したのですが、大賀さん(1989年にソニーCEOに就任)がその気になってくれなければ、改革に手をつけられませんでした。そこで、アメリカ流のコーポレート・ガバナンスを勉強し始めたのです。

 というのも、映画事業には、アメリカの会社法が適用されるからです。そこでは、社外取締役が経営者を監督する考え方が明確になっています。結果、アメリカ流のコーポレート・ガバナンスの考え方にそれなりに馴染めました。

――乱脈経営は予算で締めていったのですか。

 いや、シュルホフ氏は大賀さんと直結ですから。我々がいくら大賀さんに「問題があります」と言っても、取り合ってくれませんでした。ですが、1995年に社長になった出井さんが、シュルホフ氏の首を切りたいと大賀さんに言って了承を得ます。この点は出井さんの功績です。

 これさえ決まれば、我々も勉強していたので、後は一気呵成に体制を整えました。経営者などが恣意的に会社の金を使えないように、と各階層ごとに金を使える限度をはっきりさせた。「デレゲーション・オブ・オーソリティ」(権限委任)と呼んでいます。

 さらにエンタテインメント事業にアメリカ流のコーポレート・ガバナンスの考え方に沿って、本社が監督の役割を果たす取締役を指名し現地マネジメントの執行を監督する仕組みをつくった。これらの制度設計をしてくれたのが、例のニック・ヘニー氏でした。

――その時のソニー・アメリカの経営機構改革が、今度は日本の本社の改革につながるわけですね。

 取締役会に出るようになって気になったのは、これが本来の機能を果たしていないことでした。その頃の取締役は、功績を上げた人たちの〝終着駅〟みたいなもので、ソニーの成長に伴って40人近くになっていました。ですから取締役会は、形式的に機能しているだけでした。また、(社内)取締役が発言するのは、自分が担当している案件を説明する時だけといった具合でした。

 経営会議(代表権のある取締役6、7人で構成)は、自由闊達に議論していましたが、会社法の精神から言えば、最高の意思決定機関である取締役会を活性化しないといけないのではないか、と考えました。そのためには、もっと取締役の人数を減らし、全社的な立場で議論できる人たちで構成しなければいけない、と人事担当副社長と相談しながら設計を進めていきました。

 それが1997年6月に日本で初めて導入された「執行役員制度」ですね。「執行役員」というのは、伊庭さんが名付け親ですが、役員待遇とはいえ従業員に移行するので、軋轢があったのではないですか。

 あまりなかったですね。39人から10人に取締役を減らし、残りは執行役員になってもらったのですが、むしろ喜んでいました。処遇は変わらないし、取締役として訴訟の被告にはならない、つまらない取締役会に出る必要もない。そのうえ、大賀さんがそれぞれの奥さんに手紙を書くという配慮までありましたから。

 これは、私(当時、代表取締役副社長兼CFO)が、経営会議事務局と法務部のスタッフに手伝ってもらい、制度設計をしました。結果的に、取締役会はかなり活性化し、社内的にも「監督」と「執行」についての理解が深まりました。

注1)買収後、共同CEOとして経営を託した2人のプロデューサー、ピーター・グーバー氏とジョン・ピータース氏による放埒ぶりが、米メディアに格好のスキャンダルとして取り上げられ、キャッシュフローはネガティブなまま業績は低迷を続けた。ピータース氏は1991年に退任。

「ソニー・ショック」と
その後の凋落の真因

――5つ目のポイントですが、2003年1月に「委員会等設置会社」に移行します。この時、伊庭さんはすでにソニーの取締役を退任されていましたが、ややこしいことが起きます。当時、ソニーはカンパニー制でしたが、各カンパニーにCFOを設け、その上にグループCFOを置き、さらにCSO(最高戦略責任者)に報告するという複雑な仕組みにしました。案の定、その3カ月後に例の「ソニー・ショック」が起こり、凋落が決定的となります。

 これは、論理的(ロジカル)に導き出された結論ではないと思います。たしかに計数管理が厳しくなったので、CFOが戦略面に割ける時間が少なくなったことはあります。そこで、CSOをつくったのでしょう。

 しかし、CFOにとって重要なことは、ビジネスを理解することです。それと、計画を立てても環境変化や諸条件が変わってくるので、対応力があるかをたえず確かめなくてはいけません。つまり、CFOは現場に出て、事業部や営業の人たちと話をして、もっとビジネスに目を向ける必要があるのです。結局、やたらに肩書きを増やしただけになって、よけいに複雑化し混乱してしまいました。

 ソニー・ショックの後、2005年、出井会長と安藤国威社長が退任し、ハワード・ストリンガー氏が会長兼CEOに、中鉢良治氏が社長兼エレクトロニクスCEOになります。この時、社内取締役も全員辞めてしまいました。奇妙な話ですね。

 これもあまり論理的ではない意思決定でした。出井さんが「きれいな形でバトンタッチするために、みんな一緒に辞めようじゃないか」と、全員辞任にこだわって、その通りになってしまったのです。

――それは、ストリンガー氏にすれば、ありがたいというか、思うつぼでしたね。取締役会の事務局を含めて、自分に都合よく設定できますから。

 こうして、安藤さん、当時副社長だった 久夛良木健(くたらぎけん)さん(プレイステーションの父)、それにコーポレート・ガバナンスを担当していた、同じく副社長の真崎晃郎(まさきてるお)さんも辞めてしまった。ガバナンスの面では、真崎さんが辞めたことは、ソニーにとって不幸でした。

――4年後にはストリンガー氏が社長まで兼任するようになり、社外取締役を含めてエレクトロニクスもソニー・スピリットもわかっている人がいなくなっていきます。

 ストリンガー氏も、技術と技術者は大事だと思っていたでしょう。しかし、どの技術が大切で、どの技術者が将来のカギを握る存在なのかはわからなかった。平井一夫さん(現社長兼CEO)も、技術が重要なのはわかっていても、どこを攻めるのか、誰を大事にするのか、つかみ切れていない。

 ですから、取締役レベルでも、社内外を問わず、もっと技術のわかる人間を増やす必要があるのです。

――伊庭さんの持論に、「CFOは企業価値の番人」というのがあります。この「企業価値」は何によって測るのでしょうか。

 株主価値(時価総額)のほか、非財務的価値も含めるべきです。イノベーティブで魅力ある商品やサービスを生み出す力、品質、ブランド、マーケティング、就職人気度、CSR(企業の社会的責任)、トップの社会的プレゼンスも含まれるでしょう。

 このように、企業価値は財務的評価と非財務的価値を総合したものです。そして、企業価値の源泉は企業理念です。ソニーでいえば、ソニー・スピリットの原点である「設立趣意書」に遡ることができます。

 CFOは、企業理念に照らし、また企業理念を実現するための経営戦略に従って、経営資源を適切に配分し、そして企業価値が向上しているかどうか、評価することが役割ですから、「企業価値の番人」といえます。

――その企業理念に裏づけられた企業価値は、どう発展させればいいのでしょう。

 盛田さんの言い方では、ビジネスもテクノロジーもわかっていなければならない、ということでしょう。

 江崎玲於奈(れおな)さん(ソニー社員時代の研究でノーベル物理学賞を受賞)が、当時のソニーを「秩序ある混沌」とうまい表現をされています。自由闊達で混沌としているけれど、目指すべき目標が明確で、企業理念に裏づけられているから、全体がおのずと律せられている、と。

――律するといえば、伊庭さんは法務の経験も長い。法務は事実(ファクト)をベースとしていますが、事実を探し出すという点では財務と共通していますか。

 まったく同じです。事実があって、その上に戦略や方向性を決めていくのですから。

――つまり、CFOとしてCEOに事実を突きつける、という役割もあるわけですね。コロンビア映画を買収した時も、出井CEO時代の混迷の時も、もっと事実を突き詰めなければならなかった。

 はい、まさしくそうです。

――東芝の不正会計事件もそうですね。

 きちんと事実を見ていなかった、現実と向き合っていなかったのではないでしょうか。東芝をはじめ、一連の企業不祥事は、つくった計画に引っ張られ、弥縫策(びほうさく)に終始した結果のように見えます。

 CFOたる者、「デュー・プロセス、デュー・ディリジェンス」(公正かつ適正なプロセスを踏んで、万全の注意を払って行われる調査・審理)が欠けている経営の意思決定には企業価値を損なうリスクが潜んでいることをたえず意識していなければならないと、私は考えています。

――結果がすべてとか、成果主義とか、企業では数字さえ上げればいいんだと考えがちで、最近のCFOは計数管理のゲシュタポみたいになっていませんか。

 計数管理をあまりガチガチにはめ込むと、肝心なことを見失いがちです。経営環境の変化とか、競争の激化などはわかっていても、ビジネスとしてどのような可能性やリスクがあるのか、それが自分の会社にどれだけ跳ね返ってくるのか、という現実の分析がおろそかになって、楽観的な見通しに寄りかかってしまうのです。また、短期的な赤字を理由に不採算部門を切り捨て、将来の芽を摘んでしまうこともあります(注2)

――そういえば、出井さんが肝煎りで導入したEVA(経済的付加価値)も、うまくいきませんでした。

 その頃、私は出井さんに敬遠されていたから、いっさい相談に乗っていないのですが、資本コストを認識させるのはたしかに重要ですけれども、最強の経営ツールであるかのように振る舞ったため、肝心なビジネスの本質を見失わせてしまった、と思います。

 資本コストに注目させるならば、ほかにもいろいろ手法があるので、それぞれの事業部門の現場と話し合って、資本コストがどう重要なのかを伝え、彼らが受け入れられる方法を採用すればよかった。EVAがわからなければバカだといったやり方では、みんなの反発を招くだけでした。

――去年、ソニーにいろいろ提言をされましたが、その後をどう見ていますか。

 技術系執行役員と業務系執行役員が増えたことは評価できますが、生え抜きの技術系取締役が一人もいません。提言の中では、技術系取締役を選任することを強調しています。また、「企業理念」を明らかにすることも求めています。しかしながら、何の進展もありません。

 2015年、コーポレートガバナンス・コードが公表され、そこでは、コードの実施状況について報告書を提出することになりました。「情報開示の充実」の項に「会社が目指すところ(企業理念)や経営戦略、経営計画」が挙げられています。

 ソニーの報告書では、「当社は、コードの各原則を実施しています」とあるが、どこにも「企業理念」は見当たりません。もっとも「ミッション」を掲げていますが、これは「企業理念」(ビジョン)とは別物です。設立趣意書は、CSRの源流として位置づけられています。間違いとは言いませんが、設立趣意書は「企業理念」の源流なのです。

 他社の報告書を見ると、当然ですが、企業理念や経営理念の説明にそれなりの字数が割かれています。ソニーの取締役会と経営陣は、中期計画があれば十分としているのかもしれません。しかし、ビジョンなき経営では、サステナビリティ(持続可能性)を担保できるとは思えません。

 それから、後継者育成プランも明らかにしていないなど、コードの全面実施といいがたいところも見受けられます。

 ソニーの報告書を読むと、ソニーはコーポレート・ガバナンスの後進国になってしまった、と感じます。おこがましいですが、取締役会と経営陣は、ソニー・グループの経営とは何か、原点に戻り、思いをめぐらしていただきたい、というところです。(終)

注2)1992年危機の最も苦しい時期に、伊庭氏はゲーム機事業への参入を“CFO”として支援している。一介のエンジニアだった久夛良木氏の夢に「十分な説得力と可能性がある」と判断してのことである。そして、ソニー・ミュージックを今度は伊庭氏が説得し、合弁でソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を1993年に設立する。

(構成・まとめ/森 健二)