2012年以降のM&Aの急増は「第3の波」ともいわれる。かつて日本では経営戦略の本流とはいえなかったM&Aも、企業成長には欠かせないものと認識されるようになった。ただ、周到さを欠くM&Aはかえって企業価値を毀損させる。狙いをどこに定め、どう成功に導くべきか。企業のM&Aに詳しい宮島英昭・早稲田大学教授に聞いた。(聞き手/DIAMOND MANAGEMENT FORUM編集室 田原 寛)

成長戦略として定着も
国際的には低水準に留まる

――日本においてM&Aの潮流はどのように変化してきたのでしょうか。

宮島(以下略):1980年代後半、為替の上昇と低金利を背景にM&Aの第1の波が訪れました。この時はイン・アウトのM&A(国内企業による海外企業買収)が主流で、ソニーのコロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント買収、三菱地所の米ロックフェラー・グループ買収などがありました。

<small>狙いは資源配分と組織の効率向上</small><br />成功のカギは精緻なシナリオにある<br />1985年東京大学大学院博士課程修了。早稲田大学商学部専任講師、助教授を経て現職。専門は日本経済論、日本経済史研究、企業金融、コーポレート・ガバナンス。著書に『日本のM&A: 企業統治・組織効率・企業価値へのインパクト』(東洋経済新報社、2007年)、『産業政策と企業統治の経済史:日本経済発展のミクロ分析』(有斐閣、2004年)など。

 その後、大きな節目を迎えたのが1990年代後半です。97年に金融危機が起こり、98年に日本経済はマイナス成長に陥りました。この頃から、M&Aに関連する制度改革が進みます。97年に持ち株会社の設立が解禁され、99年には企業買収において株式交換が利用できるようになりました。2002年には財務報告に時価会計が導入されるなど、会計基準の変更も行われました。それに伴いデュー・ディリジェンスの精度が高まり、M&Aリスクの低減につながりました。

 そして、1990年代の終わりから2000年代初頭にかけて、川崎製鉄とNKKの合併によるJFEホールディングスの設立やメガバンクの再編などが相次ぎ、株式交換による買収も数多く実施されました。それまでは、日本企業の成長戦略はグリーン・フィールド投資、つまり、ゼロから事業を立ち上げる内部成長が基本でしたが、この頃になると、M&Aが重要な成長戦略に位置づけられるようになりました。

 このM&Aの第2波は2006年がピークでした。企業を買収するにも、事業再編を行うにも、一般的にまとまった資金が必要です。このため、マーケット環境がよくないとM&Aは盛り上がりません。06年まではその状態が続いたのですが、07年夏のサブプライム・ローン問題の顕在化、08年のリーマン・ショックによって市場がクラッシュし、M&Aも大きく退潮しました。ただ、落ち込んだとはいえ、10〜11年のM&A件数は03〜04年と同じ水準で、戦略としては完全に定着したといえます。

 日本では2012年から再びM&Aが増加に転じますが、アベノミクスによる円安進行で為替の条件は不利になったものの、株式市場の好調な推移で、イン・アウトを中心にM&Aの動きが活発化したのです。この12年以降の流れを第3の波と見る向きもあります。
 しかし、2014年の国内のM&A規模は約12兆円といわれており、対GDP比では約2%にすぎません。アメリカでは10%を超えないとM&Aブームとはいわれませんし、国際的に見れば依然低い水準に留まっています。

――M&Aは日本経済の競争力向上にどのような効果がありましたか。

 一般的に言うとM&Aの経済的効果は、資源配分効率あるいは組織効率の向上です。

 たとえば、ある事業部門の収益性が低いならば、その事業を営業譲渡するなり、独立させるなりすることで、資源配分効率が上がります。また、過剰設備を持つ企業同士が統合することで、生産性の低い設備の稼働を停止し、人員の再配置を行うことなどによって、資源配分効率の上昇を見込めます。

 一方、高い経営管理能力を持つ企業が他の企業を買収することで、組織効率が向上する例もよく見られます。