「トップ・マネジメントの教科書」CEOとCFO その新しい関係
2016年4月6日 

21世紀の尊敬される企業【前篇】
「日本的経営」を大切にしながらグローバル競争で勝利する

榊原清則・中央大学ビジネススクール 教授、慶應義塾大学 名誉教授

会社の利益は誰のものか――。この問いに対して、支配的な回答は「株主のもの」であり、それが企業経営を議論するうえでの命題(テーゼ)であった。

榊原清則
中央大学ビジネススクール教授。慶應義塾大学名誉教授。1978年、一橋大学大学院商学研究科博士後期課程満期退学。1990年に一橋大学商学部教授。その後、ロンドン・ビジネス・スクール准教授、慶應義塾大学総合政策学部教授、法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授を経て、2014年より現職。商学博士。主要な著書に、『美しい企業 醜い企業』(講談社、1996年)、『キャリア転機の戦略論』(ちくま新書、2004年)、『イノベーションの収益化』(有斐閣、2005年)などがある。

その一方、企業はそこで働く人たちやその家族、下請けやサプライヤーのビジネス・パートナー、事業展開している地域の経済に大きな影響を及ぼしているだけ でなく、「内部不経済の外部経済化」、すなわち、その事業活動によって、従業員や下請けの酷使、環境汚染や生態系の破壊、新たな社会問題などを引き起こし ているにもかかわらず、きちんと償っていないことから、株主以外のステークホルダーにも利益を還元すべきであるという反命題(アンチテーゼ)が登場する。 以来、白黒つけたがるのがビジネス界の常なのか――心理学の研究によると、そういう性質はアダルト・チルドレンの特徴の一つだそうである――株主と従業員、株主と地球環境、株主と公共といった二項対立の議論が繰り返されてきた。
榊原清則氏は、イノベーション研究において日本を代表する存在であり、本インタビューの中で、「会社の二面性」という考え方の下、こうしたテーゼとアンチテーゼの二項対立を止揚(アウフヘーベン)することが、21世紀の経営モデルであり、目指すべき企業像であると述べる。それは、グローバル・スタンダードといわれるアングロサクソン型経営への異議申し立てであり、また21世紀にふさわしい経営モデルの創造にほかならない。何かと日本企業の弱点や問題点ばかりが指摘されるが、榊原氏によれば、この新しい経営モデルに最も近いのが日本企業であるという。その主張に耳を傾けてみたい。(聞き手/DIAMOND MANAGEMENT FORUM編集室 岩崎卓也)

尊敬に値する
日本企業の特徴

――1996年に上梓された『美しい企業 醜い企業』の中で、企業経営には、矛盾や対立は不可避であり、創業期であろうと、大企業になった後であろうと、こうした矛盾や対立に立ち向かうことが必要である、と述べられています。

榊原(以下略):いまの時代において「飛び抜けて尊敬に値する企業」と考えられる日本企業として、製造業だけに限っていますが、トヨタ自動車、コマツ、花王、村田製作所、 日本電産、浜松ホトニクス、HOYA、ファナックの8社を選んでみました(図表1「尊敬に値する日本企業8社の業績」を参照)。

 これらを選ぶに当たっては、「売上高営業利益率」「ROA」(総資産利益率)、「ROE」(自己資本利益率)で収益性を、「自己資本比率」で安定性を評価した後、私自身がこれまで取材・調査してきた結果を加味しています。

 分野も業界も異なり、大企業もあれば中堅専業メーカーもありと、一見する限り共通性は判然としませんが、実はいずれの企業も、単に高業績を実現しているだけでなく、グローバルに事業展開しながら、「日本的経営」を堅持している、と私が見る企業です。

 昨今、日本企業の喫緊の課題として、たとえばコーポレート・ガバナンスの強化、資本効率の向上、クロスボーダーM&A、ダイバーシティ・マネジメントなど、総じて言えば「経営のグローバル化」が指摘されています。

 しかし、これらの課題に取り組む中で、「日本的経営」の長所とされてきた、たとえば長期安定雇用や内部昇進、平等主義的処遇などは、最近では逆に短所、あるいは足かせと見なされていますし、また企業別労働組合や長期志向経営は実質的な形骸化が進んでいます。

――2008年、アメリカのサーベンス・オクスリー法を参考に、上場企業に内部統制報告書の提出を義務づける「日本版SOX法」(内部統制報告制度)が適用されたことで、形式主義や官僚主義が助長され、組織の柔軟性や寛容性が損なわれたという意見があります。

 何事も過ぎたるは及ばざるがごとしですが、私は特定単一の論理を原理主義的に強調し、一方に傾く、あるいは流れるのではなく、やはり矛盾や相克を認め、受け止め、これをまさに止揚(アウフヘーベン)していくところに経営の真骨頂があると考えます。

 少なくとも先の8社は、業績が優れているだけでなく、「日本的経営」を堅持しながら、グローバル・スタンダードにも対応している。つまり、まさしく対立や相克を超越し、高いレベルで経営成果を上げているのです。そういう意味で、飛び抜けて尊敬に値する企業である、と。

――グローバル化に対応すると、「日本的経営」の特徴が失われやすい、ということでしょうか。

 以前、神戸大学名誉教授の吉原英樹先生が「消えていった日本的特徴」と題した学会講演の中で、国際化に対応する過程で「日本的経営」の特徴が消えていった経緯を説明し、日本企業の特殊的な経営の特徴は最終的にはすべて消滅するであろう、と結論されていました。

 たしかに、経済のグローバル化、それに伴うゲーム・ルールの変更などの影響を被ってきたことは間違いありませんが、「日本的経営」の特徴が消えていく原因をグローバル化だけに求めるのは無理がある。ですから、ご質問への答えは「ノー」です。

 私の考えでは、最終的なカギを握るのは「市場の審判」です。すなわち、株式市場のみならず、製品市場や労働市場から評価されなければ、言い換えると、一定水準以上の収益性など高水準の業績を実現し、世界的な存在感を確保できなければ、経営の自由度は縮小し、その結果として日本特殊的な経営の特徴が失われていく――。

 裏返せば、こうした市場の評価が得られれば、日本的経営を堅持しながら、グローバル・スタンダードにも対応可能となるのです。

――先の著作の中で、「日本にはミディオカ(médiocre:凡庸な)企業が多すぎる」とも述べられていますが、「日本的経営」の長所はもとより、自社の価値観や独自性、歴史を大切にするには、世界から評価される必要があるということですね。

 十分条件ではありませんが、重要な必要条件です。

 トヨタをはじめとする先の8社は、その必要条件を満たしており、私は「両取り企業」と呼んでいます。これら各社は、高い収益性と安定性、そして確固たる信念に基づき、えてしてトレード・オフになりやすい株主と従業員の利益還元を同時実現しています(図表2「企業の4分類」を参照)。

 これら両取り企業に共通する特徴ですが、「経営戦略」と「組織・人事・雇用」の両側面から見てみると、次のように説明できます。

[1]経営戦略
 祖業にこだわり、特定分野に焦点を絞った事業ドメインにおいて、強固な市場支配力を構築し、コスト・リーダーシップと差別化の両面で競争優位を確立している。さらに、ダイナミックな学習(知識の獲得)をあくことなく繰り返すことで、この競争優位を日々刻々強化させている。

[2]組織・人事・雇用
 従業員を大切にする精神と平等主義的な処遇を基本とし、長期安定雇用に努めている。また、社内コミュニティ、職場の快適さや過ごしやすさに配慮した、いわゆる「従業員に優しい会社」である。

 ここで注目すべきは、これら両取り企業が戦略面においてコスト・リーダーシップと差別化の両面で競争優位を確立している点です。

 ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ポーター教授が唱えた競争戦略論では、コスト・リーダーシップと差別化はトレード・オフの関係にあり、両方を同時に追求すれば、結果として低い業績しか得られないとされてきました。

 この理屈で言えば、まさしく「二兎を追う者は一兎をも得ず」のごとく、大半のミディオカ企業は、どちらか一方の選択が求められることになります。しかし実際には、ポーター戦略論が当てはまらない(飛び抜けた)企業が存在しており、その中には、少数とはいえ日本企業の名前もあるのです。

 そしてこれら両取り企業は、戦略面の二項対立を超えた経営によって市場の要求に応える業績を実現することで、組織・人事・雇用の面では、すべてではないにせよ、日本企業に特殊な経営の特徴を堅持しています。これらの例は私には、21世紀にふさわしい経営の姿を、あらためて世界に提示しているように見えます。

――言い換えれば、株主の利益のみならず、社員の利益も最大化する経営を実現している、ということでしょうか。

 言うは易きですが、それは一つの重要な特徴です。

 我々が会社という言葉を使う時、通常多くの場合、株式会社を指していますが、その仕組みからも、また法律の上でも、会社の所有者は株主であり、その株主の代理人である経営者は、株主の利益を最大化することがその責務であると考えられてきました。いわゆる株主主権論です。

 その一方で、会社は公器であり、したがって経営者は株主の利益ばかりでなく、他のステークホルダー、すなわち従業員、顧客、サプライヤーやビジネス・パートナー、社会や地域コミュニティなどの利害も勘案して経営すべきであるという考え方があり、一般にステークホルダー論と呼ばれます。

 株主の利益を最優先すべきか、あるいは他のステークホルダーも尊重すべきか、こうした二項対立の議論が長らく繰り返されてきました。(つづく)

(構成・まとめ/立崎 衛)