『ストーリーとしての競争戦略』以来の楠木教授のファンであるという青野社長。新刊『好きなようにしてください』で気に入った楠木教授による回答に、「残業するな運動に違和感」というものがありました。サイボウズという「働きやすい会社」の経営者は、「ノー残業賛成派」の声が大きくなることに、なぜ危機感を持ったのでしょうか?(構成:谷山宏典 撮影:疋田千里)

みんな「約束」を欲しがっている

青野 ここで組織論的な話からいったん離れて、『好きなようにしてください』を読ませていただいた感想を。僕にとって楠木先生のイメージは、まず何よりも『ストーリーとしての競争戦略』なんです。あの本を読んだとき、僕が頭の中でずっと考えていたことが文章として的確に表現されていて、「我が意を得たり」という思いがしました。そのときのイメージが強くあったので、この『好きなようにしてください』を読んだときには、書かれている内容に納得するのはもちろんなのですが、最初の方からズッコケまくりで、「楠木先生って、こんな面白い人なの!?」と驚かされたというか(笑)。

この2人が<br />ワークライフバランスに「異議あり」なわけ楠木建(くすのき・けん) 一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授。1964年東京生まれ。92年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。専攻は競争戦略。著書に最新作『好きなようにしてください』のほか、『ストーリーとしての競争戦略』『「好き嫌い」と経営』(ともに東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(プレジデント社)、『経営センスの論理』(新潮新書)などがある。

楠木 僕は文章を書くのがわりと好きなんですよ。それに、笑いの中にこそ真実がある、という考えなので。論理的で笑える文章がいちばん理解が深まると思っています。だから、今回の本ではなるべく読者に笑ってもらえるように書きました。

青野 ご自身のことをハゲネタでいじったり、はあちゅうを知らないにもかかわらず、はあちゅうだけであんなに話を広げたり。文章の面白さに魅了されました。

楠木 そう言っていただけると本当にうれしいです。ところで、青野さんは、「はあちゅう」という人のこと、ご存知でした?

青野 もちろん。インターネットメディアに関心のある人間であれば、たいていの人が知っているのではないでしょうか。

楠木 そうですか……。でも、この状況がまさに多様性ということだと思います。人間って、自分たちが思っている以上に一人一人違うんですよ。ある人にとっては「知っていて当然」でも、別の人にとっては「見たことも聞いたこともない」ということが、実は世の中にはたくさんあるんです。

青野 それにしても、笑いの中に垣間見える鋭い視点はさすがだなと思いました。たとえば、最初の「大企業とスタートアップで迷っています」という相談。どんな回答をするのかなと読み進めていったら、「環境評価、環境比較にはたいした意味はない」とはっきりとおっしゃっていますよね。僕自身、「環境」ではなく、「自分が何をしたいのか」が重要だと考えて日々仕事をしているので、このご意見には心から共感しました。

楠木 環境を求めてしまうのは、みんな結局、「約束」が欲しいんでしょうね。典型的な相談のひとつとして「国内の大手企業か、海外の企業でチャレンジか」という二者択一に悩んでいる方が多いのですが、その内容を読むと「国内の大手企業なら○○ができるけど、海外にチャレンジすれば△△が身につく」と、ある環境に身をおけば必ず何かが約束されると思い込んでいるのです。でも、そんな甘い話があるはずがなく、僕はこの手の悩みを持つ人にはいつも「大丈夫、まったく心配ありません。世の中そんなに甘くないですから」とアドバイスをしています(笑)。

青野 よく「環境が人を育てる」「役職が人を育てる」とか言いますけど、僕はこの言葉、真実ではないと思っていて。というのも、社長になったのに社長としての覚悟が決まっていない経営者をこれまで大勢見てきましたし、逆に現場の一社員にもかかわらず会社全体のことを考えて動いている人も見てきました。ある環境や立場に身をおいたからといって、それにふさわしい覚悟やスキルが持てるかといえば、そんなことはまったくない。むしろ、そうではない人の方が大勢いますよね。

この2人が<br />ワークライフバランスに「異議あり」なわけ青野慶久(あおの・よしひさ) 松下電工を経て、1997年にサイボウズを設立、2005年より代表取締役社長に就任。グループウエア事業を展開し、06年に東証1部に市場変更。給与体系や勤務体系、勤務場所などの選択肢が多様な、国内では先進的な人事制度を導入している。著書に『ちょいデキ!』(文春新書)、『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)がある。

楠木 どんな環境に行ったとしても何も約束されていないのであれば、結局こちらとしては「好きなようにしてください」としか言えないわけです。

青野 ただ、本のタイトルにもなっている「好きなようにしてください」というアドバイスは、一見投げやりでいい加減な印象を受けますけど、実は「好きなようにする」ということは一筋縄ではいかない、かなり奥深いことですよね。

楠木 ええ。この言い方はすごく不親切で。なぜかと言えば、一定の強さを持った人間を前提に置いているんですよ。「自分は○○が好きだ。だから、○○をしたい」とはっきり宣言して、その言葉通りに行動することは、やはり強さがなければできません。

 強さとは「覚悟」と言い換えてもいいかもしれません。『チームのことだけ、考えた。』の中で、青野さんは「覚悟という言葉には大きく2つの意味がある」と書かれています。ひとつは「リスクを受け止める心構え」であり、もうひとつは「あきらめ」だと。そして、「理想を実現するためなら、どんなリスクも受け止める覚悟を決めて、かつその理想以外のすべてをあきらめる」とまで言い切っている。僕はこの覚悟のくだりはすごくいいなと思ったんです。

 実際、サイボウズは、一時はM&Aを繰り返すことで通信、ハードウェア、システムインテグレーションなど事業の多角化を図ってきましたが、そのすべてをあきらめた結果、「世界一のグループウェア・メーカー」という理想にたどりついたわけですよね。そのベースには青野さんご自身の「ソフトウェアが好き」という思いがあるのですが、「グループウェア以外はやらない」と決断をすることは強くなければできないはず。これこそがまさに覚悟です。
普通の人は、そこまでの覚悟ってなかなか持てないと思います。やはり、いろんなことをあきらめるのは嫌ですからね。

ノー残業制度は次善の策

青野 「残業するな運動に違和感」という相談に対する回答も面白かったです。今の時代のトレンドを見ると、ノー残業賛成派ががぜん増えてきています。しかし、楠木先生は「原則論では反対、現実論では賛成」と原則論と現実論を切り分けて書いておられるのが、僕としては痛快で。普通、どちらかに振れてしまうじゃないですか。

楠木 残業するかしないかは、結局は個々人や会社のマネジメント能力の問題なんですよ。全員が全員、自分の仕事をマネジメントできていて、きちっと成果を出すことができているのであれば、僕はノー残業制度に反対です。個人の裁量に任せて、もっと各々が好きなように働くべきだと思います。

 ところが、みんながみんな、そんな優れたマネジメント能力を備えていることは稀で、だいたいが仕事の時間をズルズルと引き延ばした結果、無駄な残業をしている。だったら、セカンドベストとして「仕事は○時まで」と多くの人が納得できる一律の基準でばっさりと切ってしまうことも仕方のないことだと思います。

青野 この残業の話は実は深いと思っていて。今「ワークライフバランスの重視」という旗印のもとで「残業は悪いこと」という方向に振れてしまっていますが、一方で「残業の何が悪いんだという意見も昔からある。このままノー残業賛成派が突っ走って、「残業は悪いこと」が原理原則になってしまうと、それはそれで仕事をするうえでのいろんな不都合が出てくると思うのです。

楠木 そもそも僕は「ワークライフバランス」という言葉自体に違和感があります。ワークとライフは横に並ぶ関係にはなく、ワークはライフを構成する重要な一要素に過ぎないからです。だから、本当のところは「ワーク・アズ・ア・パート・オブ・ライフ」。ワークがライフの一部であるならば、両者のバランスという話にもならないはずです。

 また、青野さんがおっしゃるように、世の中の流れが「残業は悪いこと」という方向に振れていることも問題だと思います。残業するかどうかは、原則的にはその人の好き嫌いで判断するのが理想です。残業したい人はすればいいし、嫌いな人はやらなくてもいい。ただ、そうした個々の好き嫌いを受け入れて組織として成果を出すには、先ほども話したように、やはりマネジメントの工夫が必要になります。会社のトップや個々人に高いマネジメント能力があれば、社員一人一人の好き嫌いを受け入れても、組織をきちっと動かして成果を出すことができます。

 しかし、現実的にはそこまでのマネジメント力を備えている組織はほとんどなく、それゆえ本来は「好き嫌い」の問題であるはずの「残業する、しない」を無理やりに「良し悪し」の問題にすり替えて、「残業しない方が正しいんだ」「残業するのは間違っている」と個々の好き嫌いを制約する流れになっているのが、残業に関する今の風潮だと思います。

 ちなみに同じ理由で、「良し悪し」ばかり語る経営者や上司は、どれだけ口で「多様性が大事だ」と言っていても、部下の多様性を受け入れる能力がない人間だと見ていいでしょうね(笑)。

この2人が<br />ワークライフバランスに「異議あり」なわけ