2016年3月で東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故からちょうど5年経つ。この間福島は、それを取り巻く世論はどう変わったのか。廃炉作業の日常を実際に作業員として働きつつルポマンガで描いたマンガ家と、福島生まれの気鋭の社会学者が語り合った。本稿では『週刊ダイヤモンド』12月21日発売号の特集「2016年総予測」に収録しきれなかった対談内容を、3回にわたってお届けする。(聞き手・構成/週刊ダイヤモンド編集部 鈴木洋子)

――開沼さんは福島県いわき市出身で、06年から浜通りの原発立地自治体の状況について研究をされ、震災発災後も継続的に浜通りでフィールドワークを行っていらっしゃいます。一方、竜田さんも12年から第一原発で廃炉作業員として勤務してこられました。その経験を踏まえて、現在の福島の浜通りの状況と、原発廃炉の状況について教えてください。

いまだ危険なイメージが消えない福島への誤解かいぬま・ひろし/福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員、福島県いわき市生まれ。06年から福島県原発立地地域の研究を続ける。著書に『漂白される社会』(小社刊)『はじめての福島学』(イーストプレス)など。

開沼 当初はがれき処理や物資不足など喫緊の問題があり、その奥にある問題が見えなくなっている状態だったのですが、現在はそれが解消したことで、課題は整理されてきました。

 まず、風評問題。一次産業と観光業の「イメージの復興」は進んでいません。たとえば農業。米の生産量が震災前比で85%回復しているなど生産自体は再開していますが、市場に流通する際の価格は、作物によりますが、3割、4割と大幅に下落しています。観光も同様に90%回復しているものの、福島への修学旅行での訪問数は震災前と比べて半減している状態がつづいている。もともとゴルフ、温泉、スキーなどの観光資源があり、外国人にも人気がありますが、例えば、震災前は年4万人来県していた韓国人観光客、今は3000人台になってしまっている。これだけ「爆買い」とか「インバウンド」とか言われているにもかかわらずです。

 生活面では、避難や賠償問題は落ち着きつつも尾を引いています。避難者数はピークをすぎ減少傾向にあるものの、いまだ残る問題は一筋縄ではいかないものばかりです。例えば、双葉町に丁寧なメンテナンスが行き届いたバラ園があって重要な観光地だったんですが、ここにあるバラには賠償基準が定められている「草木」の金額を超える付加価値があるわけです。数字に換算できない損害。そういうものの落としどころをどう見つけていくかのフェーズに来ています。

危機的な状況は脱したのに
「福島はめんどうくさい」化はつづく

いまだ危険なイメージが消えない福島への誤解たつた・かずと/大学卒業後職を転々としながらマンガ家としても活動。震災を機に被災地で働くことを志し、12年から福島第1原発で作業員として働く。現場の労働の模様を克明に淡々と描いた「いちえふ」は新人としては異例の初版15万部を記録。世界的に話題となった。

竜田 原発は危機的な状況は脱しており、場内の整備をしつつこれからどうするか考える、といった段階ですね。冷却をどうしよう、建屋が崩れるのでは、放射性物質の大量放出がまた起きる、などの「何か起こったらヤバイ」状態はもう過ぎている。水素爆発で中身が露わになった姿が何度も報道された4号機と3号機ですが、4号機はカバーも付いて燃料取り出しは終わり、3号機も上部の鉄骨瓦礫がほぼ撤去され姿を大きく変えています(*1)