今や生活のインフラともなっているスマートフォン。スティーブ・ジョブズは人工知能の進化においても、まるで預言者のような役割を果たしていた。人工知能はどこから来て、この先何を変えるのか? それをコンピューター100年の進化論で読み解く『人工知能は私たちを滅ぼすのか――計算機が神になる100年の物語』から、本文の一部をダイジェストでご紹介します。

iPhoneはもはや公共インフラなのか

 このところ連日、アップルとアメリカ政府とのいさかいが報じられています。発端は、銃乱射事件の捜査のため、犯人の所持品だったiPhoneのロックを解除するようFBIがアップルに命じたことでした。

 アップルは、ロックを解除できるような改造版のソフトウェアを作れば、結果的にすべてのiPhoneユーザーのプライバシーを危険にさらしかねないとして拒否。

 グーグルやマイクロソフトのような競合を含めたIT業界がアップルへの支持を表明する一方、大統領候補として共和党のトップを走るドナルド・トランプ氏がアップル製品のボイコットを呼びかけるなど、国を二分するような議論になっています。

 この問題の背景には、iPhone(他のスマートフォンでもいいのですが)に、いかに私たちの個人的な情報がたくさん蓄積されているかということがあります。さらに、世界でスマートフォン全体では20億人が利用するようになっています。人類の3人に1人はスマートフォンを使っている計算になります。

 スマートフォンはこのように私たちのコミュニケーションのインフラとしてはなくてはならない存在になっています。ですが、最初のiPhoneが発売されたのは2007年、まだ10年も経っていないことを思い出してください。

 スマートフォンはどのようにしてこれほど短期間で社会のインフラにまでなったのでしょうか。その背景には、私たちのいる日本も大きく関わったのです。

 今回は、人工知能の進化におけるスティーブ・ジョブズの貢献についてみていきます。

【2030年の世界その5】
モーゼの石板

これまでの物語は以下からお読みください
2030年の世界その1
2030年の世界その2
2030年の世界その3
2030年の世界その4

これまでのあらすじ
2030年に暮らす女子大生のマリは、卒論執筆のために、アシスタント知能デバイス(A.I.D.)のピートとともに、人工知能誕生の秘密を探る旅に出た。最初の開発者であるチューリングのビジョンから、エンゲルバートのパーソナルコンピューター、グーグルのクラウド、そして、いよいよモーゼのようにタブレットで世界を切り拓いた、ある預言者にたどりつくことになる……。

「あなたは贖罪所を箱の上に置き、箱の中にはわたしが授けるあかしの板を納めなければならない。その所でわたしはあなたに会い、贖罪所の上から、あかしの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために、わたしが命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう」(旧約聖書「出エジプト記」25章21〜22節)

 私は、インターネットが神経のように地球の上を覆い尽くしている様子を頭に思い浮かべてみた。真っ暗な宇宙に浮かぶ、青く光る巨大な脳。

「地球の脳、か。なんだかぞっとしないな」

「そんなふうに言わないでよ、僕だってクラウドの中のどこかで動いてるんだから」

「そうなのよね。だからバックアップから復活できたんだし。ピートはどこにあるクラウドの中で動いてるの?」

「それは答えるのが難しい質問だな。マリは自分の脳の中で自分がどこにいるかなんて答えられないでしょ。それと同じだよ。それに、知っての通り僕はマリとだけいるわけじゃない、僕の基本的な部分は10億人が使ってる。もちろんプライベートな情報は共有されてないけど」

 そうなのだ。ピートのような高度なA.I.Dを作れる会社は、世界に何社もあるわけじゃない。消費者向けだとA社、G社、F社の3社くらい。

 私は今日も神父と話をしに礼拝堂に行った。神父は奥の間で、なんだか見覚えのない言語で書かれた古い文献とにらめっこしている。

「おや、マリさんじゃありませんか。最近はずいぶん熱心に来るようになりましたね。少しは信仰に目覚めましたか?」

「今日は私に命令する別の神様の件で相談に来ました。A.I.Dのことなんですが」

 神父は少ししかめ面をする。

「最近では聖書の教えよりもA.I.Dの命ずることに従順な人が多いですからね、嘆かわしいことです」

「そう、私時々心配になるんです。A.I.Dはあんまり私のことをなんでも知ってるから、こっそり他の人に私のことを教えたりしてるんじゃないかって。それにいろいろアドバイスしてくれるのは助かるけど、あまりA.I.Dに頼りっきりになるのもどうなのかなって」

 神父はため息をついた。

「昔、スマートフォンやタブレットが流行りだした頃から、多くの人が四六時中夢中になっていました。まして賢いA.I.Dが現れてからは、人々は主の声に耳を傾けるような暇はないかのようです。モーゼの律法の時代は遠くになりにけりです。今ちょうどヘブライ語の原典を読んでいたんですけどね」

「モーゼって、あの海を割った人でしたっけ」

「そうですね。普通の人にはそのイメージが強いかもしれませんが、旧約聖書においては、ユダヤの民をエジプトのファラオの支配から解き放ち、シナイ山で主から与えられたタブレットを通して主の律法を託された重要な預言者なのです」

 私は面食らった。

「ちょ、ちょっと神父さま、古代のエジプトにタブレットがあったんですか?」

「はは、タブレットといっても昔流行ったコンピューターではなくて、ええと日本語ではなんといいましたっけ、イタ、石板ですよ。モーゼは石板を通して主のことばを聞くことができたのです」

 私は妄想が膨らむのを抑えられなかった。あごひげを生やした預言者が、雷鳴がとどろく山頂で神のことばを聞いている。その手元にはタブレット──もしかしたらスマートフォン──を持って、雲の上の世界と通信をしている。その時私は気づいていなかった、スマートフォンを世界に広めた、不思議なほどにモーゼの人生と重なる生涯を送った人物とすでに出会っていたことを。

ペンは剣よりも強い、だがケータイはさらに強い

 グローバリズムとインターネットは、当初は冷戦の雪解けとともに希望に満ちて出発しました。例えば政治学者のフランシス・フクヤマは、『歴史の終わり』の中で民主主義/資本主義という体制の決定的な勝利を宣言し、覇権を巡って争いあうような「歴史」は終わりを告げたといいました。

 ところが、そうした希望は長続きはしませんでした。2001年9月11日、テロリストに乗っ取られた航空機がニューヨークの世界貿易センタービル、国防総省ペンタゴン他に自爆攻撃を行ったのです。

 9・11を首謀したとされるアルカイダ、およびその流れをくむISは、中東を不安定化し、またアメリカの覇権の弱まりは中国やロシアといった新興国の台頭を招きました。グローバリズムは、期待されたような地球市民社会の到来というよりも、世界中での民族と宗教の対立に火をつけてしまったようです。

 2010年代に入ると、中東のチュニジア、エジプトやリビアといった国々の独裁的な体制に対する反政府運動の高まりが起こり、結果的にそれらの政府が倒れる、アラブの春と呼ばれる事態が起こりました。その際に、フェイスブックなどのSNSや、携帯電話が、反政府運動への民衆の動員に大きな役割を果たしたといわれています。

 民族意識というのは、このように大きな抑圧がある時にその反動として高まるものなのかもしれません。例えば聖書の中においても、創世記の次に来るのは、エジプトで虐げられていたユダヤ民族がエジプトを離れ、自らの国を形成する「出エジプト記」です。そこで主役になるのは、聖書の物語の中でも有名な、海を割ってユダヤ人を導いたモーゼです。

 モーゼはシナイ山で神の戒律を記した石板を得て、ユダヤ人を約束の地カナンへと導きます。その際、戒律の石板は、聖櫃と呼ばれる箱に入れられ、神のことばを届ける通信機の役割を果たします。聖櫃はまた、敵の軍隊を打ち倒す兵器でもありました。

 今日のコンピューターに最大の影響をおよぼした人の中に、このモーゼの人生と不思議と重なる人物がいます。そう、スマートフォンという「神の石板」を作って世界を変えた男、スティーブ・ジョブズです。

 コンピューターの預言者スティーブ・ジョブズが彷徨の中で見出した「啓示」とはなんだったのでしょうか? 極東の黄金の国に福音をもたらした「宣教師」とは? そして神との通信機であり兵器にもなった「神の石板」とは?

 続きは『人工知能は私たちを滅ぼすのか 計算機が神になる100年の物語』本編でお楽しみください。

(第7回に続く 3/30公開予定)