公文アメリカの生徒 |
公文(くもん)式教育で有名な公文グループの海外展開は、思いのほか早い。ニューヨークに初めての海外教室を開いたのが、1974年。すでに40年近い歴史を持つ。
実は、この年は公文にとってはひとつのエポックを画す年でもあった。創始者であった公文公(とおる)が『公文式算数の秘密』(廣済堂出版)を書き、これがベストセラーになったのだ。この効果によって、公文は一気に国内の学習者数を増やすことになる。
編集者の一人は、現在、幻冬舎の社長を務める見城徹であった。現在、公文に通う学習者は、世界46カ国で422万(のべ学習者数)、そのうち国内は142万人で、すでに海外が国内を大きく上回っている。売上でみても、2009年3月期の697億円の3割強を海外が占めている。
もちろん、国内は少子化が進み、公文が得意とする小学生の数は減っている。だから、外に市場を求めていくという面がないとは言えないが、国際的な展開は公文公が、当初から描いていた夢であった。
公は1995年に亡くなり、後継者であった毅も、その2年後に亡くなる。二人の意志を引き継いで、公文は今も国際展開を進めている。それは単に収益を追いかけるだけではなく、創始者の理念を広め、その夢を実現しようという挑戦だけに、試行錯誤の繰り返しでもある。
それは手作りの教材から始まった
よく知られているように、公文式教育法は高校の数学教師であった公が毅のために、手作りの算数の教材を作り始めたところから出発している。毅は公が作った教材を、夕食の前までにすませる。仕事から帰ってきた公はそれを添削して、アドバイスをつけて返す。そのやり取りの中から、生み出されたものだ。