NTTドコモの「らくらくホン」シリーズには、大きな特徴が三つある。ボタンを押すだけで電話がかけられる三つのワンタッチボタン、輪郭が明瞭で読みやすい大きな文字、凹凸が強調された操作ボタン。一見すると、普通の「シニア向け携帯」だが、じつは一般的な「若者向け携帯」の先を行く技術が詰まっている。ドコモの土台を支えてきた大ヒット商品の裏側を探った。(「週刊ダイヤモンド」編集部 池冨 仁)

 「最初は、シニア向け携帯電話のデザインと聞いて、ガッカリした。同じデザイナー仲間たちは、若者向け携帯のデザインを手がけていたからね。でも、NTTドコモの担当者の話を聞くうちに、『おもしろそうだ』と思うようになった」

 2007年4月に発売されて、一時的に売り切れ店が出るほどにヒットした「らくらくホンベーシック」(入門機種)のデザインディレクションを担当したデザイナーの原研哉は、ニヤリと笑って振り返る。

らくらくホンベーシックⅡ
らくらくホンベーシックⅡ
自分の電話番号を電話機の本体に油性ペンで小さく書いている人がいたことから、話し中でも電話番号を出せるようにした。
Photo(c)Toshiaki Usami

 原といえば、デザインの世界では、知らない人がいないほどの“大御所”だ。手がけたデザインプロジェクトは、無印良品のアートディレクション、山口県・梅田病院のサイン計画、銀座・松屋のリニューアルなど幅広い。武蔵野美術大学の教授であり、日本デザインセンターの代表取締役でもある。

 発売に先立ち、大御所の了承を取り付けるまでの約1年、ドコモの担当者である鍋田宜史(プロダクト部第三商品企画担当)は、関係各所の調整に追われた。そもそも、携帯電話というビジネス全体が若者向けだったので、社内からは「分をわきまえろ。原さんほどの著名デザイナーに頼むなど言語道断だ」「だいたい、お年寄り向けの携帯にデザインは必要ない」などの批判が集中する。

 それでも、鍋田は諦めなかった。常日頃から、シニア層の「簡単なのは嬉しい。でも、毎日持ち歩くので、もっと素敵なものにしてほしい」という“生の声”に接していたからだ。それを具現化するには、まだ手をつけていない“デザインの要素”を取り込む必要がある。だからこそ、鍋田は、同じ端末を長く使ってもらうことの意義を訴えて、原を口説いたのだ。

 そして、もう一つ。鍋田と上司である部長の永田清人には、あるこだわりがあった。ドコモでは2004年をピークにして新規契約者数の伸びが止まり、買い替え需要のほうが多くなった。携帯電話市場が過当競争に向かうなかで、新規契約者を獲得するには“ドコモ発の独自商品”が必要だ。その点で、当時のドコモにとって、強い独自商品といえるのは、「らくらくホン」シリーズだけだったのである。