【ロンドン】ザハラ・ジョヤ氏(29)は何年にもわたってアフガニスタン政府の汚職を調査したり、戦争中の、特に女性に対する暴力の記録を集めたりしてきた。自由なメディアはかくあるべきという見本のような活動ぶりだった。
多くのジャーナリストは8月、報復を恐れてタリバンから逃れ、ジョヤ氏も出国した。ジャーナリストの国外脱出によって、芽生え始めたアフガニスタンのメディア業界は深刻なダメージを受けた。
現在はロンドンで亡命生活を送るジョヤ氏は昨年、アフガニスタンで唯一、記者が全員女性の報道機関、ルクシャナ・メディアを立ち上げた。今はアフガニスタンの複数の州で、タリバン統治下の女性に対する暴力行為や殺害を中心に記録する記者でつくる小規模ネットワークを運営している。
「この20年間、メディアはタリバンに攻撃され続けてきた」とジョヤ氏は言う。今は「タリバンの規則に従わなければ、殺される」と話した。
タリバンは報道の自由を支持する意向を示しているが、イスラムの教えと国益が許す範囲でという条件付きだ。その範囲をどう解釈するかについてタリバンは詳細を明らかにしていない。
しかし現実には8月15日にタリバンがアフガニスタンを掌握するとすぐに、自由なメディアの崩壊が始まった。
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)を含む外国の報道機関で働いていた多くのアフガニスタン人記者は国外に脱出した。国内に残った記者の中には女性の権利を支持する最近の抗議運動を取材した記者を含め、タリバンに脅迫されたり、拘束されたり、殴られたりした人もいる。
公式なメディア規制はほとんどないが、タリバンは過去にアフガニスタン人記者を標的にしていた。メディアや人権の活動家によると、記者がどれほどひどい扱いを受けるか分からないため、国内メディアは自主検閲をしている。
自由なメディアは20年にわたる米国のアフガニスタン駐留がもたらした目に見える最大の成果の一つだった。2004年制定のアフガニスタン憲法は出版物やマスメディアを含め、「侵すことのできない」表現の自由を認めた。米国は2001年から今年夏に撤退するまでの間に報道機関への支援とジャーナリストの研修に1億5000万ドル(約170億円)を超える資金を提供した。
アフガニスタンではこの20年間に70を超える新聞と数百のラジオ局、テレビ局が誕生した。スタッフがほぼ女性だけのテレビ局「ザンTV」もその一つだ。メディアグループが伝統的に政治的、経済的利害関係者に頭が上がらない地域にあって、アフガニスタンの報道機関は明るく輝く存在だった。
混乱しがちなこの若き民主主義国家において、これらの報道機関は陰の実力者の責任を問う上で重要な役割を果たした。
前政権下でもジャーナリストは暴力に直面していた。2020年には11人が殺害されたが、捜査が行われたものはほとんどない。アフガニスタン人記者によると、タリバンの戦闘員だけでなく、政府と緊密な協力関係にある有力者からの脅しも日常的にあったという。
アフガニスタンのメディアは現在、タリバンからの脅迫と国家の経済破綻という二重苦に見舞われ、その未来はひいき目にみても心もとない。カブールのメディア監視団体ナイによると、8月以降、閉鎖したメディアは277に上る。
ナイのアナリストによれば、これまでは国際的な報道機関が言論の自由を尊重したり、記者殺害を捜査したりするよう政府に圧力をかけていた。
「アフガニスタンにはもう政府に圧力をかける現地機関も国際機関もない。だから(タリバンは)やりたい放題だ。カブールでは今、多くのことが起きているが、それを報道する勇気のある人間はいない」とアナリストは話した。
タリバン政権は国際社会による承認を求めており、権力掌握以降も外国メディアはアフガニスタン国内で比較的自由に活動できている。しかし今では国内に恒久的な拠点を置く西側メディアはほとんどない。
今も国内で取材を続けるアフガニスタン人記者を取り巻く状況は厳しい。例えば、デマキャンペーンのせいで正確な報道が難しくなっている。タリバンによる権力掌握後、抵抗する組織は、カブールで起きた小競り合いでタリバン幹部が共同創設者を殺害したというデマを流した。
女性を処刑するタリバンを撮影したとされる写真がソーシャルメディア上に出回ったこともあった。写真はのちに2015年にシリアで撮影されたものであることが分かった。
タリバンが女子バレーボール代表チームのメンバーを殺害したという報道が拡散したときは、ラクシャナ・メディアがこのメンバーがタリバンの権力掌握前に自殺していた証拠を示し、嘘であることを証明した。
インターネットのおかげで、アフガニスタン人記者はテレビも写真も完全に禁止したかつてのタリバン政権下ではありえなかった方法で現状を報じている。
今では人里離れた貧困地域でもスマートフォンを通じて外の世界とつながっている。爆撃で完全に破壊され、電気も水道もない町では、起業家が太陽光パネルで動く発電機を使い、衛星経由でインターネットに接続してネットカフェを始めている。
ダイクンディ州で9月、少数派のハザラ人家族、数百世帯がタリバン支持者によって村を追われたときは、数時間もたたないうちにスマホで撮影された映像がカブールの現地メディアに届いた。
女性たちが厳しい現状に直面している以上、ジョヤ氏は自らの使命を急いで果たさなければならないと考えている。ルクシャナ・メディアは、2015年にゴール州で石を投げられて殺害された女性にちなんでジョヤ氏が名付けた。
タリバンの権力掌握により、多くのアフガニスタン人女性は既に仕事を休んで家にいるように強要され、世間から切り離された状態に置かれている。タリバンは女性省を解散させ、離婚する女性を支援したりドメスティックバイオレンス(DV)を行う男性を処罰したりしていた家庭裁判所を停止した。人権擁護派によれば、人権侵害の程度が悪化し、強制婚の件数が増加しているという。
「アフガニスタン人女性は互いに話をしていない。私たちには公園のような安全な場所や安全なプラットフォームがない」とジョヤ氏は言う。「女性が自由でいられるプラットフォームをつくることが私たちの目標だ」
アフガニスタンに残った報道機関は、報道内容を手加減せよという圧力を感じている。女性のアナウンサーの出演を取りやめ、人気を博していたトルコのテレビドラマの放送を中止した。タリバンに対する言葉遣いも和らげた。
アフガニスタン最大のメディア企業モビー・グループのサード・モフセニ最高経営責任者(CEO)は「われわれは取材する必要があるものは全て取材しているが、以前よりもはるかに注意している」と話す。国内で最も視聴されているモビー傘下のテレビネットワーク「トロ」は知名度があり規模も大きいため、ラクシャナのような小規模メディアとは異なり、ある程度は安全だ。過去には、国内にいるトロのスタッフが繰り返し爆破や暗殺の標的にされていた。
自由なメディアは「私たちがアフガニスタンで求めている価値を守るための一種の抵抗」。日刊紙「エティラート・ロズ」の発行者で編集長のザキ・ダリアビ氏はそう話した。この5年間で最も注目された汚職調査を行ったのは、ごくわずかな予算で運営されている同紙だった。「だからタリバンはメディアを恐れている」と同氏は言う。
3人の子どもの父親である35歳のダリアビ氏はタリバンの諜報部員から脅迫を受け、11月にアフガニスタンを離れた。国内に残ったエティラート・ロズの記者の中には、9月に行われた女性による抗議運動の取材中にタリバンの警護員から激しく殴られた人もいる。
亡命したアフガニスタン人記者にとっては、国外から国内の人権侵害や政治などあらゆるテーマについて報道を続けているイランの報道機関が参考になるかもしれないとダリアビ氏は言う。
比較的歴史が浅いアフガニスタンのメディア業界は、これから極めて困難な仕事に直面することになるかもしれない。
モビーのモフセニ氏は「われわれはすぐに自由なメディアの擁護者になれるわけではない。ただためらうことなく自分の仕事をするだけだ」と話す。「それこそが私たちがしなければならないことだ」。モフセニ氏はタリバンが権力を握って以来、アフガニスタンに足を踏み入れていない。



