フィクションである映画が
現実の抗争に影響を及ぼす

――その後、東映に復帰した松方弘樹は、73年の「仁義なき戦い」(菅原文太が主演)で、ようやく脇役ながらも代表作と言えるだけの大ヒット映画に出会いました。その頃の映画界は、明治・大正・昭和初期の下町を舞台にした“着流しやくざ”が正義の味方だった任侠映画の時代から、戦後のやくざ組織の抗争などで“背広姿の現代やくざ”が権謀術数をめぐらす実録映画の時代に入ります。「仁義なき戦い」は、実際に広島県で起きた抗争事件を描く群像劇で、日本では数年おきにブームがやってきます。

 大ヒットした「仁義なき戦い」シリーズは計5作品が製作されました。松方弘樹は、計3作品(第1作、第4作、第5作)に登場しています。まったく立場が異なるやくざを見事に演じ分けています。当時、30歳になったばかりの松方弘樹は、なりふり構わぬ凄みのある演技を見せました。とりわけ、「仁義なき戦い」(第1作)では、松方弘樹が演じた若頭の坂井哲也という役柄が、映画を観た人々の記憶に残っているでしょう。

 こういうシーンです。組の規律を守るために、組員にはヒロポン(覚せい剤)の密売を禁じていたはずの山守義雄組長(金子信雄)が、組員から取り上げたヒロポンを勝手に横流ししていたという事実を知った坂井哲也(松方弘樹)は、親分がそんなことでは組員に示しがつかないと訴えます。しかし山守親分は、のらりくらりと屁理屈を並べてごまかそうとします。その上、怒り出して「わしのやり方が気に食わんのなら、盃を返して(組を)出て行け」とまで言い放ちます。遂に、それまで抑えていた感情を爆発させた坂井は、「おやじさん、言うとってあげるが、あんたは初めからわしらが担いどる神輿じゃないの。組がここまで(大きく)なるのに、誰が血を流しとるんや」と詰め寄り、さらに「神輿が勝手に歩けるいうんなら、歩いてみないや、おう!」と切り返します。

 こうした下剋上を描いたシナリオは、義理と人情の板挟みで苦悶する鶴田浩二や高倉健の任侠映画ではありえないものでした。あまりにも身勝手なやくざの親分が、泣いたりわめいたりするのですから(笑)。老獪な親分に振り回されながら、子分たちは理不尽な目に遭います。それでも、子分は親分を信じようとするのですが、手ひどく裏切られてばかり。結局、親分を凌駕するほどに実力を付けていたナンバー2の存在が邪魔になった組長は、組内の内部対立を利用して若頭を暗殺してしまうのです。

「仁義なき戦い」が数年おきにブームになるのは、“組織”と“個人”の間で翻弄される人間のやり切れない気持ちなどを描いた点が人間の非喜劇として心の琴線に触れるからでしょう。それは、世代を超えて、どのような仕事をしている人でも思い当たる節があるとい言うか、誰でも感情移入できる“普遍性”を持っているのだと思います。