神仏については、はっきりさせることもないとする精神性は、日本では古来のものらしい。吉田兼好は「徒然草」で次のように言っている。

 “世に言い伝えていることは、真実では興味のないものなのか多くはみな虚言(そらごと)である。(中略)ともかくも嘘の多い世の中である。それ故、人があまり珍奇なことを言ったら、いつもほんとうは格別珍しくもない普通の事に直して心得てさえおけばまちがいはないのである。下賤な人間の話は耳を驚かすものばかりである。りっぱな人は奇態なことは言わない。こうはいうものの、神仏の奇跡や、高僧の伝記などを、そんなふうに信じてはいけないというのとは違う。これらは、世俗の嘘を本気で信じるのも間抜けだが、まさかそんな事実はあるまいと争論したとてはじまらないから、だいたいはほんとうのこととして相手になっておいて、むやみに迷信したり、またむやみに疑い嘲ったりしたりしてはならない(73段)。”

 前半は、中世でも現代でも同じなのかとびっくりしたのでやや長く引用したが、後半で神仏については単純に信じてもいけないし、だからといって嘘と決めつけてもいけないとしている点に引用の趣旨がある。なお、引用文は、日本文学全集5(河出書房新社、1960年)における佐藤春夫の現代語訳である。

日本人は宗教心の薄い国民なのか?

 これまでに見てきたように、日本人は、死後や現世、特に死後を意味づけるものとして宗教を考えていない。また、神に対する認識が、気分的、懐疑的、あるいは曖昧であり、また、それでよしとしている。それでは日本人は非宗教的な国民なのだろうか。そうともいえないという点を次に見てみよう。

 まず、日本人の宗教心は、近年、高まっていきつつあるのだろうか、それとも衰えていきつつあるのだろうか。これについて、5年おきに同じ設問の意識調査を長期的に継続実施している統計数理研究所の調査結果を見てみよう。宗教心に関しては2つの設問が主なものである。すなわち、「あなたは、何か信仰とか信心とかを持っていますか?」と「それでは、いままでの宗教にはかかわりなく、『宗教的な心』というものを、大切だと思いますか、それとも大切だとは思いませんか?」である。

◆図3 日本人の宗教心の推移