「ひとり」という言葉には、寂しく不安なマイナス・イメージがつきまとう。しかし、本当にそうだろうか。鴨長明や松尾芭蕉など隠者の生活や、かつての貧乏暮らしに、「ひとり」が生きやすくなる哲学を学び取ることができそうだ。宗教学者の山折哲雄さんに聞いた。

鴨長明や西行、芭蕉ら隠者に学ぶ<br />これからの時代の「ひとり」の哲学山折哲雄(やまおり・てつお) 宗教学者。1931年米サンフランシスコ生まれ。東北大学文学部インド哲学科卒業。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。『これを語りて日本人を戦慄せしめよ』等、著書多数。現在、『新潮45』にて『日本人よ、ひとり往く生と死を怖れることなかれ』を連載中。

 少子高齢化や晩婚化に伴って、「ひとり」という言葉には、孤独な“独居老人”や寂しい“独身”といった負のイメージがつきまとっています。その「ひとり」の不安感を振り払うかのように、特に2011年の東日本大震災後、世間では「絆」や「助け合い」が強調されてきました。確かにそれも必要だけれども、危機的な有事でない場合は、まず「ひとりで立つ」「ひとりで生きる」姿勢が必要で、それがあってこそ、はじめて助け合いや絆が生まれるのではないでしょうか。

 今後、人口が減少していけば、色んな場面でひとりで生きる領域が空間的にも時間的にも広がるはずです。だから今こそ「ひとりで生きる」「ひとりで立つ」「ひとりで暮らす」ことの本質的な価値を見直すべきではないでしょうか。ひとりで考える「ひとり」の哲学も発動させる必要があります。対象をじっととらえ、握りしめ、つかみ直し、もみほぐす。物事を分析したり、意味づけしたりせず、ただ対象をとらえ、握りしめ、つかみ直し、もみほぐすことを繰り返すのが、この場面の重要な方法です。

 実はこの「ひとり」という言葉は万葉集の柿本人麻呂の歌「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」にも出てくるように、大昔からの伝統があります。しかもこの歌には「ひとりになって他者を思いやる」という、日本人がずっと大切にしてきた価値観が内包されています。

宗教と芸術というハイブリッドに
隠者の生活の魅力がある

 では、「ひとり」を楽しむ良いモデルはあるのか? その一例は、庵住まいをして質素に生きた隠者たちです。たとえば、鴨長明や吉田兼好、西行、芭蕉、良寛といったあたりでしょう。

 日本の思想史では、一級扱いする親鸞や道元、日蓮らと比べて、これらの人物たちはどちらかというと厭世家で実践的なことをやらずに来た人たちとして少し下に見る傾向が、なんとなくあるようです。でも、私はそれは違うと思う。彼らの生き方の魅力は、「宗教と芸術」のハイブリッド−——つまり、出家しながらも歌をうたい、書を書き続けた−——「信仰と美」と言ってもいいけれども、その両にらみの姿勢と生き方にあったのではないでしょうか。必ずしも禁欲的とは言えない生活ですよ(笑)。

 鴨長明を例に挙げると、彼は平安時代末期から鎌倉時代初期に歌人として活躍したのち、50歳で出家して、62歳で生涯を閉じるまで京都の山中に隠棲していました。さまざまな天災や飢饉に苦しめられて命を失う人々の姿を描き、人生の無常を見事に綴ったのが、あの有名な「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」で始まる『方丈記』です。彼は隠遁生活に入ったあとも鎌倉まで旅をして、歌人として高名だった3代将軍・源実朝と歌の問答をするなど、行動派で好奇心旺盛なところがありました。狭い庵の中も、経典を読んだりする宗教空間と、歌をつくったりする芸術空間とに分けて、生涯どちらも手放すことなく追い求めていたのです。