【1】羅針盤なき時代の進路指導とは
進路指導――この言葉を聞いて、何を思い浮かべられるでしょうか。多くの大人は、子どもがどこの高校、どこの大学に進学し、どんな会社に就職するかという、いわば「ゴール」を思い描かれると思います。でも、私はこの考え方こそが、現代の教育が抱える根本的な問題だと考えています。
そもそも、私たちは今、かつてないほどに不確実で、複雑な時代に生きています。終身雇用神話は崩壊し、AIが多くの仕事を代替し始め、将来どんな職業が生まれるのか、予測できません。そんな時代に、偏差値やブランドだけで進路を決めることが、本当にその子の幸せにつながるのでしょうか。
進路指導とは、「その子が、自分の人生の羅針盤を、自分の手で持つ」ことだと思います。羅針盤は、単なる「目的地」を示すものではありません。「自分がどこにいて、どこに向かっているのか」を、常に自覚するための道具です。
子どもたちが社会という大海原で、嵐に遭っても、自力で進むべき方向を見つけられるようになることです。それが、今の時代に求められる進路指導ではないかと思います。
そして、その羅針盤を子どもに持たせるために、学校と塾は、それぞれどのような役割を果たすべきなのでしょうか。どちらが優れているかという不毛な議論ではなく、互いの強みを理解し、協力する道を探ることが大切だと思います。
【2】学校が担うべき「哲学」としての進路指導
学校教育は、単なる知識の伝達ではありません。学校は人間形成の場であり、社会性の基盤を築く場所です。進路指導においても、その役割は揺るぎません。学校が担うべきは、「哲学」としての進路指導であると考えます。
先生は、子どもたちと日々を共に過ごす中で、その子の興味、才能、そして隠れた可能性に気づくことができます。テストの点数だけでは見えない、授業中のふとした発言や、部活動での立ち居振る舞い、友だちとの関係性などから、その子の「らしさ」が浮き彫りになってきます。
ある子が、歴史の授業で特定の時代にやけに食いついたり、図工や美術の授業で誰も思いつかないような独創的な作品を作ったりすることがあります。そうした小さな「ひらめき」を、教師として見逃さないようにしています。その「ひらめき」が、その子の将来の扉を開く鍵となるかもしれないからです。
学校の先生は、子どもにどう問いかけるべきでしょうか。
「なぜ、あなたは〇〇(興味・価値観)が好きなの?」
「それを知ることで、どんなふうに世界が変わると思うの?」
これは、単なる進路指導ではありません。「あなたの興味や価値観はどこにあるのか」という、自己探求への誘いです。先生は、この自己探求のガイドとして、幅広い選択肢を示す役割を担うことが大切です。大学や専門学校、就職先といった具体的な情報だけでなく、世の中にはどんな仕事があり、どんな生き方があるのかを、体験学習や講演会を通じて子どもたちに提示します。
しかし、学校の進路指導にも限界があります。受験のプロではないこと、そして何よりも、膨大なデータに基づいた客観的な分析は、個々の教員の経験に依存せざるを得ません。ここに、塾の存在意義が生まれてきます。
【3】塾が担うべき「戦略」としての進路指導
一方、塾が担うべきは、「戦略」としての進路指導です。これは、合格という明確な目標を達成するための、緻密な計画を立てる専門家としての役割です。
塾には、長年にわたり蓄積された、膨大な入試データがあります。過去の合格者の成績、出題傾向、入試方式の特徴など、学校では知り得ない情報がそこには詰まっています。
塾の進路指導担当者は、子どもたちの模試の結果や得意・不得意を客観的なデータに基づいて分析し、どの学校に合格する可能性があるのか、どの科目を重点的に勉強すべきかを、論理的に導き出すことができます。
これは、子どもたちが「自分は今、どの位置にいるのか」を正確に把握するための、非常に重要なプロセスです。漠然とした不安を解消し、「今やるべきこと」を明確にすることで、子どもたちは学習へのモチベーションを維持することができます。
また塾は、志望校合格という目標に特化しているからこそ、個別のニーズに応じた具体的な指導ができます。面接の練習、小論文の添削、志望理由書の書き方など、学校では手薄になりがちな実践的なサポートは、まさに塾の得意とするところです。
しかし、塾にも限界があると思います。合格実績という短期的な目標を追い求めるあまり、その子の「本当にやりたいこと」や「人生の価値観」といった、内面的な部分がおろそかになるかもしれません。偏差値だけで進路を決め、入学後に「こんなはずじゃなかった」と後悔するケースもあるかと思います。
【4】羅針盤を手渡すために、学校と塾が手を取り合う
では、この2つの役割を、どのように統合すればよいのでしょうか。学校と塾は、ライバルではなく、協力者になるべきだと思います。
まず、子どもたちは、学校で「なぜ自分は学ぶのか」という、進路の「哲学」を深めます。先生との対話や、さまざまな体験学習を通して、自分が本当に興味を持っている分野、将来なりたい姿を、漠然とでもいいから見つけます。
次に、塾でその「哲学」を「戦略」へと落とし込んでいきます。学校で見つけた「好き」や「興味」は、どうすれば実現できるのかを、塾の専門的な知見を活用して具体化するのです。
たとえば、「将来は環境問題に関わる仕事がしたい」と、漠然と考えている子どもがいるとします。学校の先生は「なぜ環境問題に興味があるの?」と問いかけ、その子の価値観を掘り下げる。そして、環境問題に関わる大学の学部や、NPO、企業など、さまざまな進路の選択肢を提示します。
一方、塾の先生はその子の学力データを見て、「環境学を学ぶなら、〇〇大学の〇〇学部が君の学力と一番マッチしている。合格するためには、数学と理科を重点的に勉強する必要がある」といった、具体的な学習計画を提案します。
このように、学校と塾がそれぞれの強みを活かし、子どもたちをサポートすることで、「哲学」と「戦略」が両立した、理想的な進路指導が実現します。
【5】親は「羅針盤のコンパス」になる
最後に、忘れてはならないのが、親御さんの役割です。親は、子どもたちの「羅針盤のコンパス」になることが大切だと思います。
羅針盤は、自分の位置と進むべき方向を示す道具ですが、コンパスは、その羅針盤が正確に北を指しているかを確認するための道具です。
親は、子どもの進路選択に口を出しすぎてはいけないし、でもだからといって、まったく関与しないのも無責任です。私も親として、その塩梅には気をつけています。わが子が、偏差値や世間体といった「虚像」に惑わされ、自分の本当の気持ちを見失いそうになったとき、「本当にそれでいいの?」と、そっと問いかけるようにしています。
私が親の役割として気をつけていることは、「わが子が何をしたいのか」を誰よりも深く理解し、その選択を信じ、応援することです。そして、もしわが子が道に迷いそうになったとき、冷静に現実を伝え、よりベターな方向を子どもと一緒に模索することです。
【6】「正解」のない時代を生きるために
現代の子どもたちは、「正解」のない時代を生きています。かつてのように、良い大学に入って良い会社に就職すれば幸せになれるという保証は、どこにもありません。
だからこそ私たち大人は、子どもたちに「正解」を教えるのではなく、子どもたちが「自分で、自分なりの正解を見つける力」を育むことが重要になっていると思います。
その力を育むために、学校は「なぜ学ぶのか」という「哲学」を教え、塾は「どう学ぶのか」という「戦略」を教えます。そして親は、わが子が本当に大切にしたいものを、見失わないように見守ります。
羅針盤を自らの手で持ち、コンパスで方向を確認しながら、未知なる未来へと船を漕ぎ出す。それが、これからの時代を生き抜く子どもたちにとって、何よりも大切なことではないでしょうか。
進路指導は、「誰がすべきか」という問題ではないと思っています。それは、親・学校・塾のそれぞれが協力して、子どもたちの未来のために何をすべきかを問う、壮大なプロジェクトだからです。教師であり親でもある私は、その覚悟を持って、学校や家で子どもと向き合うようにしています。