「模擬調停」で学ぶ、真に“中立”であることの難しさ
前回は、「いじめ」に対して「何もしない」という意味での“中立”の立場について考えてみました。「いじめ」の現場に居合わせた「傍観者」が、自分は“中立”だから何もしないというのは、被害者と加害者のどちらにも味方していないという意味で一見理屈が通っているように思えます。しかし、授業では、「この理屈にはどこか違和感を覚える」という趣旨の意見がたくさん出ました。
中3または高1の4回目の授業では、被害者と加害者それぞれの言い分を聞く状況を演出する、ロールプレイング形式の「模擬調停」の演習授業を実施し、“仲裁者”の立場でありながら“中立”であることの意味を学びます。
調停は裁判とは異なります。裁判は裁判所が判決を下すため、仮に当事者が合意に至らなくても勝訴・敗訴といった結論が出ますが、調停はあくまで「話し合いの場」です。当事者の合意の有無によって「成立」「不成立」が決まります。
生徒さんたちには、この模擬調停という体験を通して、当事者の主張を整理していく難しさや適切に解決へ導くことの難しさ、そして、真の意味で“中立”であり続けることの難しさを体感してもらいます。