教育の質的な転換が進む
後藤 コロナ禍で入国制限もあって留学生も来なくなり、国際系の学部学科のキャンパスは空いていますね。
安田 国際系の学部学科でも、この1年は米国留学などができませんでした。22年1月以降は、留学できる機会も徐々に増えるとは思うのですが。となると、国際系の学部学科の人気が少しずつ戻るかもしれません。
後藤 いまさらドメスティックでやっていていいのか、という意識は保護者にも強いですし、どこまで通用するのかという懸念もあります。このままでは科学技術立国も危うい。
「グローバル」と漠と言わず、「国際通用性」だと言うべきですね。英語ができるだけで良いわけでなく、思考や技能が国際社会で通用して活躍できるようになれるかですよ。それを考えると、いまから30年前に慶應義塾大の加藤寛さんがSFC(湘南藤沢キャンパス)を立ち上げたときの自然言語、人工言語、学際性がこれから重要だとする教育理念が、いまようやくSTEAM教育として中高に広がってきたのだと思います。小学校でもプログラミング教育が始まりましたし。
安田 グローバル教育とかICT(情報通信技術)教育を喧伝するようなことはもうそろそろやめにした方がいいですね。もはやそれらはやっていて当たり前なのですから。
後藤 コロナ禍は時間の概念を変えたと思います。例えば、大学や高校での単位というのは学習時間で設定してあります。でも、オンデマンドの授業などは倍速で再生すれば時間は短縮できます。
安田 分からないときにはもう一度見ればいいですしね。
後藤 時間で成果を図るような工場モデルを教育現場でもやってきたわけですが、やっとこうした近代的な思考から卒業できる。
――学ぶことも学び方も大きく変化しているというわけですね。
安田 プログラミングと同様、小学校から英語が教科化されましたが、未就学児童の頃から親が英語塾などに通わせていた子どもの中には、中学に入った段階で「英語が嫌い」という生徒が結構増えてきているというのです。
数学もそうですが、「苦手」ならまだ対応のしようがありますけれども、「嫌い」となると大変です。嫌いになっちゃうと学び直しができないです。必要において学ぶことができないと技術の進歩や生活環境の変化には追いつかず、それは仕事をしていくうえで意欲の差として表面化してきます。
後藤 そういった子どもは調べ学習を一生懸命やり、言葉などを調べますが、発表したものの中に自分の考えというものが一切入っていなかったりします。