判明率100%に立ちふさがる“難敵”ノート
――「週刊朝日」も同じ時期に大学特集をやっていますね。
中根 週朝さんは、その時々の編集長の意向が反映していたようで、特集自体を縮小しているような時期もあったようです。大学通信と仲たがいした時期もありました。1964(昭和39)年4月5日号から、切れ目なくやっているのは「サンデー毎日」だけです。
後藤 サン毎と週朝、どこに違いを出していましたか。
中根 合格者数の判明率での勝負でした。95%以上入っていましたね。「週刊読売」(2000年に「読売ウイークリー」に改題後、2008年休刊)は相手にしていませんでした。
後藤 予備校も、この両誌の合格者名簿を基にして、「○○名合格」と広告を打つことができたわけです。新聞社の広告には裏付けとして名簿を求められますから。河合塾は、東大合格者数では駿台を追う立場でしたので、講習会参加者などを1人でも多くその名簿の中から見つけ出すんです。
中根 判明率を高めていっても、東大か京大、どちらかが100%にならない。1人、2人がどうしても見つからなかった。
編集部内で毎年引き継がれる「難敵名簿」というのがありました。東大はセンター試験の結果で足切りをします。その段階で一度調べて、調査対象者の人数を減らすわけですが、何度調べても分からない人というのがいる。本人までたどり着いても絶対反応しないとか。そういう人の中で意外と多かったのが、予備校講師の隠れ受験でした。
後藤 大手予備校はコメントを出すため、新聞社ルートで入試問題を手に入れていましたが、中小の予備校では入試問題を入手するために受ける。予備校講師の中には、毎年受験することを売りにする人もいたから、毎年受験して、合格してしまう(笑)。
――それは一般の受験生からすると迷惑な話ですね。
中根 電話に出ない“難敵”と言われる人たちには、実家に電話を掛けたりとかします。よく覚えているのが東北の進学校出身の受験生で、足切りは通過しても二次試験に通らない受験生でした。
実家に毎年恒例行事のように電話を入れていたのですが、7浪のとき電話をしたら、「息子は元気ですか」とお母さんが泣きそうになっていて。お話を伺うと、4浪、5浪の頃から実家に寄りつかなくなり、編集部からの電話が息子さんの安否確認になっていたようなのです。
こうしたエピソードはたくさんあります。やはり東北の受験生に電話をすると、本人は「僕、落ちています」と言うので一回電話を切る。でも、名前は載っているからおかしいともう一度電話をしました。当時、遠隔地の受験生に合否を知らせる合格電報がありましたが、それが間違っていた。ギリギリで入学手続きが間に合った東大生もいました。
後藤 合格電報って、学生のバイトで、結構適当だったりする。
――電話掛けが受験生の役に立つこともあった(笑)。
中根 だからこれは、やっている意味がある(笑)。人生を左右しますからね。
当時、東大は漢字で氏名を張り出していましたが、京大はなぜかカタカナで、これが難敵でした。同姓同名でたくさん該当者がいる、例えば「スズキイチロウ」なんていうのがやっかいで、引き継ぎの大学ノートに何ページも載っているわけです。