「権限」は「子どもの尊厳」を守る手段として

 生徒会のメンバーは、自分たちで現行の校則に対する意見をまとめ、全校生徒を巻き込んだ議論にしていくことを決めました。これに対し、E先生は「学校と対立しても良いことはない」と助言します。

 確かに、生徒たちが攻撃的に「校則を改定すべきだ!」と言って「すべき」を振りかざせば、大人が協力したくない気持ちになるのも当然です。これが対等な関係性(横の関係性)であれば、「あなたに協力したいと思えないので、協力しません」と相手に伝えることに何ら問題はありません。

 しかし、力関係が非対称である「縦の関係性」の場合、相手の主張内容の正当性ではなく、主張方法や言い方などの“態度”に着目した拒絶は、それ自体が「力を持つ者」の「持たざる者」に対する抑圧になりかねないので注意が必要です。

 校則に関する学校と生徒の関係性であれば、何を「批判」や「対立」と捉え、何を「適切な要請」と捉えるかは、全て学校側の判断次第です。生徒会のメンバーは、学校側に「批判」や「対立」とみなされないよう、アンケートの実施方法や意見書の記載内容、全校生徒たちへ呼びかける言葉にも、逐一気を使わねばならなくなるでしょう。

 そもそも、校則を変えたい生徒と維持したい学校との間には既に利害の対立があります。ですから、生徒が何をどんな形で主張しても、学校側に「批判」や「対立」と評価される恐れはあるのです。学校側の立場にあるE先生が、批判や対立をタブー視する発言をすることは、たとえ「良かれ」と思ってであっても、生徒会のメンバーたちの口を封じることにつながります。

 一方、生徒会のメンバーは、この先多くの“味方”をつくる必要があります。教員への支援要請も含めて、「協力してもらいやすいアプローチ」を模索していかなければなりません。ですから、E先生は、先に批判や対立を封じてしまうのではなく、生徒たちの活動に応じて適宜助言・協力していくのが望ましいのではないでしょうか。
 
 現状、校則の問題は、改定権限を持つ学校側がその「力」をどう使うかという問題に帰結します。力を持つことには、同時に「責任の重さ」が付随しますから、全てにおいて子どもの自由を優先しなければならないわけではありません。

 しかし、子どもたちのためにも、また私たちの社会の未来のためにも、学校には「子どもの尊厳」を守るためにこそ、その力を使ってほしいと思います。