衰えていく大学の入学者選抜能力
「総合型選抜」も、基礎学力をいかに担保するかでまた問題含みである。「学校推薦型」選抜でも少なからず問題なのであろうが、「調査書」や高校の成績は、高校ごと、授業ごとのローカルルールである。最近の高校の成績はインフレ傾向にあると大学側は分析する。高校間での学力差の調整は難しく、高校の成績は大学に生徒を送り込む側の主張にすぎない面があり、信頼性が乏しい。
大学が主体的に選抜する試験であれば、従来の指定校推薦のような高校側からの評価だけで選抜することには本来なりえない。文科省が大学入学者選抜要項で示すように、小論文や共通テストなどを積極的に課して、それらを調査書よりもむしろ重く評価して選抜をするべきである。学生募集に危機を感じている大学の選考基準はさらに緩くなっており、ほんとうに大学教育にふさわしい学力を担保できているのかと、この点に対しては高校からも不安の声が聞こえる。
人文科学や社会科学系であれば、英語や国語の自然言語スキルを十分に審査する必要はあるだろう。自然科学系であれば、数学や理科の概念やスキルを高校で学んでいなければ大学の授業を受けるに際して苦労するはずだ。そうした学力を、プレゼンテーションや面接だけで審査できるものなのか。今後、大学側も基礎学力をいかに担保するかを工夫するようになるだろう。
以前の連載でも触れてきたように、大学入試問題を自前で作れない私立大は珍しくなくなりつつある。大学教員への就職待ちで、予備校でアルバイトをしながら模擬試験の作問をした経験のあるような大学教員は、予備校の衰退と予備校講師の専業化とともにいなくなっている。入試問題の作成には、熟練が必要だ。受験生全員が正解だったり不正解だったりするのでは合否を判定できない。理解度の高い受験生とそうでない受験生を的確に見分けて、得点に有意差が生まれるような作問が求められる。作問するには熟練が求められるのだ。
このことは、正解が一つに決まらない小論文のようなものであっても同様だ。論点を絞り込んで書きやすくしたり、受験生の教養レベルに沿った問いが立つような素材を選んだりと、出題にはなかなか苦労する。教員養成系学部に「入試問題作成者養成センター」を創設した方がよいのではないかと考えたくなるほど、実際には難儀なものである。こうした大学側の出題能力の低下と、実質倍率の低下が相まって、一般選抜の機能がこれから弱まっていくことだろう。
「定員割れ」を起こす大学は徐々に増えていき、大学の選抜能力もじわじわと衰えていく。この流れは、より上位の大学へじわじわと拡大していくことになるが、このような状況下で、果たして高校生の学習意欲は維持し続けられるだろうか。
これまで取り上げてきた諸問題に対処する方法はあるのか。テストの受験料負担問題、総合型選抜や学校推薦型選抜における基礎学力の担保、大学の入試問題作成能力の問題は、実は、すべてを共通テストで解決することができる。特に、共通テストの実施日程の前倒しによる効果は大きい。私大関連団体も、この主張を始めている。
そのためには、高校3年次を「進路準備教育」期間として、本格的な高大接続の期間にすることが必要となる。現行の学習指導要領で登場した各教科の「探究科目」は、この高大接続に活用できるもののはずだ。
ただし、こうした教育システムの転換は、2年3年先に直ちに実現できるものではない。十分に教育の仕組みをシミュレートしなければならない。そのためには、議論より高校と大学との対話が不可欠となる。大学はどのような受験生を受け入れたいのか、大学教育にふさわしいとはどのようなものなのかを主張しながらも、高校と対話しながら高校側の事情を理解する、高大接続のための「高大対話」がその前提となる。
対話には時間がかかる。こうした教育システムの転換が可能となる見通しが立っても、高校のカリキュラムの変更などを要するため、早くても2030年頃の実施になるのではないだろうか。しかし、課題を見据えて、早急に解決に向けた対話を始めてもらいたい。
※次回に続く