いまの女性リーダーには、男性が失ってしまった特性も備えている。それは「胆力」だ Photo:Rodrigo Reyes Marin/AFLO

 豊洲移転の延期に東京五輪施設の見直しと、メガトン級の爆弾を次々と投下し続ける小池百合子東京都知事だが、一連の騒動を見ていて考えることは、「女性が組織のトップに立つこと」の意味だ。

女性リーダーが持つ特性

 昔から「男は論理的で、女性は感情的」と言われるし、女性活躍推進の文脈でも、女性の特性として「共感能力」「コミュニケーション能力」の高さがよく指摘される。たしかにそのような傾向はあるかと思う。しかし、女性と言ってもいろいろだ。女性のすべてが感情的なわけではないし、共感能力が高いわけでもない。当たり前だが、人生や仕事に対する志向性によって人間の特性は変わる。起業して大成功して大金持ちになりたいと考える人間は、例外なくハードワーカーで家庭は二の次、家族に対する共感能力が低い傾向にある。一方、マイホーム志向の人間は、家族への共感能力は高いが、仕事に対するコミットメントは少ない。

 働く女性に関して言えば、おおざっぱに半数がワーク・ライフ・バランス志向で、半数がワーク志向。そして、志向性が違えば、同じ女性でも特性はまったく違う。

 バランス志向の女性は、職場やママ友など自分が属するコミュニティのなかで、自分の居場所を確保することがテーマになるので共感能力が高くなるが、この場合の共感能力とは、自分を殺して場の空気を読むという意味での共感だ。そうでなければ、とくに女子コミュニティのなかで生きていけない。

 対してワーク志向の女性は、バランス志向の女性と比較して論理的だし、仕事も理念型だ。もちろん、共感能力がないわけでもないし、コミュニティのなかでの共感というものを無視しているわけでもないが、与えられたコミュニティのなかでどう生きるかよりも、自分が居心地の良いコミュニティを自分で作ってしまう傾向がある。

 もちろん男性にもそのような傾向はあるが、女性の場合、より顕著だと感じる。そして昨今では、小池氏のように社会のリーダーたらんとする女性、男性と比べて際だった特性を感じる。それは、「覚悟」とか「矜持」という特性だ。本来、男性リーダーにこそ求められていたこのような特性は、現代は女性のほうが男性と比較して備えているように思える。