10月1日、午前10時。JR国分寺駅から歩いてすぐのところにある、やや古めかしいビルの前には長蛇の列ができていた。時間を追うごとに列は長さを増していき、開店時間の11時直前になると、列はビルのまわりをぐるりと一周するほどの長さになった。この日、列の先頭に並んでいた50代の男性は、「朝7時半から並んでいます。今朝の始発で来ました」と話す。列の先にあるのは、丼チェーン店「伝説のすた丼屋」(以下、すた丼屋)だ。
丼もののチェーン店であるすた丼屋は、豚肉にニンニクのきいたタレをからめた丼に、生卵を落とした「すた丼」が看板メニュー。濃いめの味とボリュームで、男子学生やサラリーマンなどから支持を得ている。
そんなすた丼屋が今年45周年を迎えるということで、この日、国分寺店限定で通常630円(並)のすた丼を100円(1000杯限定)で振る舞うイベントを実施。冒頭の行列は、100円すた丼を求めての行列だった。
今はチェーン店として関東を中心に多数の都府県で展開、最近では海外にも出店しているすた丼屋だが、はじめはひとりの男性が始めたラーメン屋だった。当時の店主が従業員に「安くてうまいものを腹いっぱい食べてほしい」という思いで作った「まかない」が、すた丼の“原型”だった。このまかない丼がうまいと常連客の間で噂になり、いつしかメインの商品になっていったという。
実はこのラーメン屋時代の店に、なかなかインパクトのあるエピソードが残されている。「伝説のすた丼屋」が“伝説”と掲げる理由も、ここから見えてくる。
すた丼屋の前身である「サッポロラーメン 国立店」は、1971年、東京都国立市にオープンした。当時の店主は橋本省三氏。この人物がなかなかパンチが効いていた。元ボクサーだった橋本氏は、関東大会で3位になった経験もある腕っぷしの強さ。従業員からは「オヤジ」の愛称で親しまれていたという。
現在、すた丼屋を運営するアントワークスの早川秀人代表取締役も、当時は従業員として「オヤジ」を慕ったひとりだ。オヤジと早川氏は20歳ほど年が離れていたが、オヤジは従業員ら“若い衆”が好きで、いつも彼らと同じ目線で遊んでいたという。当時を知る同社広報は、次のように振り返る。