「どうせ廃業するなら、すげえと思える物を作りたかっただけなんです」
トヨタの高級車レクサスのオリジナルアイテム「レクサスコレクション」にも採用され、一躍話題を呼んだ濡れない傘「ヌレンザ」。特別な超撥水性の高密度ポリエステル素材で作られているため、傘についた雨粒もさっと一振りで飛び散り、車内が雨に濡れずに済む。
そんなすごい技術でトヨタをも魅了したのが、福井洋傘の二代目社長・橋本肇さんだ。橋本さんは、約30年前に廃業寸前だった同社に入社。現在では、高級傘メーカーとして全国的に名を知られるまで復活した。
同社は平均単価4万円という高級傘を製造。今や都内一流デパートのみならず、アジアやヨーロッパでも人気を集める。中でも大島紬を生地に使用したものは、約140万円(税込)の最高級品だ。
高島屋日本橋店(「高」の表記は「はしごだか」、以下同)で年2回行われている、福井洋傘の催事にお邪魔すると、次々と常連客が訪れ、今持っている傘を直しに出すと同時に、新たな傘を購入する流れが生まれていた。また、海外からの観光客も商品を見入って次々と購入していく。日本橋以外では、神戸や横浜などで飛ぶように商品が売れるという。
現在では都会で一流の顧客が詰めかける傘メーカーとなったが、一体どのように廃業寸前からここまでの復活を遂げたのか。
中国に仕事を奪われ廃業寸前!
音響マンから傘メーカー社長へ
福井県福井市浜別所町。福井駅から車で約40分という日本海にもほど近い場所に福井洋傘はある。橋本さんの父であり、元々農家だった現・会長の橋本平吉さんが1972年、農作業ができない冬の副業として創業した。大阪の会社から企業誘致の話を受け、「傘を作ったことも、会社経営もしたことがない」にもかかわらず、創業に踏み切ったそうだ。
そんな大胆な平吉さん夫妻は、大阪の傘メーカーへ修業に出向き、真面目に傘づくりを学んだことで開業から順調に会社は軌道にのった。「『良いものを作ろう』という福井県民のDNAがあったからだろう」と橋本さんは振り返る。
しかし昭和の終わりに近づくにつれ、中国に拠点を移すメーカーが増え、コスト面から徐々に仕事が中国に奪われていく。そして廃業寸前まで追い込まれた頃、地元テレビ局などで音響マンとして働いていた橋本さんが、実家をなんとかしなければと入社。ただ、傘は「子どもの頃に手伝いでつくっている程度」(橋本さん)だった。