ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一

アメリカ下着メーカーという
黒船襲来

北 康利 [作家]
【第35回】 2016年12月7日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage

黒船の襲来

 時代の波に乗って大きな飛躍を夢見ていた幸一の前に、大きな壁が立ちはだかろうとしていた。

 アメリカを代表する下着メーカーであるラバブル・ブラジャー社の技術指導の下、日本ラバブル・ブラジャー社が設立されたのである。幸一たちにとって、それはまさに“黒船”であった。

昭和27年から東京出張所が入っていた人形町のビル。東京銀行の看板が見える

 この情報は、昭和28年(1953年)の9月下旬ごろ、東京出張所のはいっていたビルの1階にある東京銀行の支店長がこっそり耳打ちしてくれたものだった。東京銀行は外為専門銀行であるため外資系企業と関係が深い。藪中の訴えで無理してこのビルに出張所を移した甲斐はあったと幸一は思った。

 聞くと、すでに同社は8月に設立されているという。いつも機先を制してきた幸一が、逆に奇襲をかけられたのだ。

 国内メーカーはどこも自社生産率が低く下請けに依存している。

 この当時、糸や布を作るメーカーは大企業がたくさんあっても縫製業者は中小企業と相場が決まっていた。

 庶民の多くはみな生地を買ってきて、自分で寸法を測って自分で仕立てるか、仕立て屋に頼んで着物を仕立てていたからだ。一反の布地を使い切ることを“反つぶし”というが、縫製業者は“つぶし屋”という一種の蔑称でよばれていたほどだった。

 (これから日本女性が洋装化することで市場は急拡大する。それだけではない。手先の器用な日本人にとって、繊維加工産業は世界と十分太刀打ちできる重要な産業だ)

 幸一は、これからは縫製業者の時代が来る。そしてそれこそがこの国を支えるのだと信じて疑わなかった。

 そんな矢先の「黒船来襲」であった。

 下請けの一社でも彼らと提携して押さえられたら、商品の供給がとどこおってしまう。当時の日本人の欧米崇拝と彼らの巨額な宣伝費を考えれば、日本市場がまたたく間に席巻されてしまうことも十分予想される。

 幸一はかつてない激しい緊張感に襲われていた。

次のページ>> 敵陣に乗り込む
1
nextpage
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR
【デジタル変革の現場】

企業のデジタル変革
最先端レポート

先進企業が取り組むデジタル・トランスフォーメーションと、それを支えるITとは。

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR

話題の記事

北 康利 [作家]

きた・やすとし/昭和35年12月24日愛知県名古屋市生まれ、東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。資産証券化の専門家として富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長等を歴任。平成20年6月末でみずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。“100年経営の会”顧問。松下政経塾講師。著書に『白洲次郎 占領を背負った男』(第14回山本七平賞)、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』、『吉田茂ポピュリズムに背を向けて』(以上、講談社)、『陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝』(新潮社)、『西郷隆盛命もいらず、名もいらず』(WAC)、『松下幸之助 経営の神様とよばれた男』(PHP研究所)などがある。最新刊は『佐治敬三と開高健最強のふたり』(講談社)。


ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一

ブラジャー。この華やかな商品に一生を捧げた男がいた。戦後京都を代表するベンチャー企業「ワコール」を創業した塚本幸一である。インパール作戦の生き残りという壮絶な戦争体験を持つ彼は、いかにして女性用下着に出会い、その未開市場を開拓していったのか。ベンチャースピリット溢れるその豪快華麗な生涯を、いま最も注目される評伝作家・北康利が描きだす!

「ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一」

⇒バックナンバー一覧