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岸博幸のクリエイティブ国富論

「ネットの自由」という米国の耳触りのいい言葉に
はしゃぎすぎるな~中東・北アフリカ騒乱で考えた

岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授]
【第128回】 2011年2月25日
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 米国のヒラリー・クリントン国務長官は、2月15日に「インターネットの自由」に関する演説を行ないました。今回は、この問題点について考えてみたいと思います。

「インターネットの自由」とは?

 もともと同長官は昨年1月に、同じ「インターネットの自由」に関する演説を行なっており、そこで、ネット上でも「4つの自由」(表現の自由、信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由)が守られるべきであり、そのためには「ネットに接続する自由(freedom to connect)」が必要と述べていました。ある意味で、ネットを米国の外交政策の目標達成のために活用することを宣言したのです。

 今回の演説でも、基本的には同様の内容が繰り返されており、インターネットは“世界の街の広場”になった、そこで人々が自由に互いにつながることができるようにすべき、と強調しています。

 加えて、チュニジアやエジプトでの経験を踏まえ、インターネットへの接続を制限する専制国家でも抑圧される側が検閲などから解放されるよう、必要な技術開発に2千5百万ドルを投下すると表明しました。

ネット接続制限先進国(?)の中国の反応

 これに対して、ネット接続の制限に関する先進国(?)である中国は、当然否定的な反応をしています。中国外務省のスポークスマンは、概要以下のように述べました。

 「中国では、法律に基づく幾つかの例外を除いて、“インターネットの自由”は制約されていないし、他国がオープンなインターネット環境を推進することにも反対ではない」

 「しかし、中国は、ある国が“インターネットの自由”を口実に他国の内政に干渉することには反対である」

 私は、中国の声明の二番目の点は非常に正論だと思います。国民に対してインターネットへの接続をどこまで認めるかは、水や電気をどこまで十分に供給するか、政治的な集会をどこまで認めるかなどと同様に、主権を持つ国家が決めるべき話ではないでしょうか。

 これに対して米国の主張は、「インターネットの自由」は国家の枠を超えた普遍的な基本的人権であり、主権国家の意思に関係なく実現すべきと言っているに等しく、行き過ぎた価値判断と言わざるを得ません。

 国家が「インターネットの自由」を認めない場合に、それに不満な反体制派が抵抗するのは自由ですが、それはあくまで内政の問題のはずであり、米国がそれを原則論として振りかざすのは内政干渉に他なりません。

 それにも関わらず米国がなぜ、「インターネットの自由」という踏み込み過ぎた主張をするのでしょうか。

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岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授]

1986年通商産業省(現経済産業省)入省。1992年コロンビア大学ビジネススクールでMBAを取得後、通産省に復職。内閣官房IT担当室などを経て竹中平蔵大臣の秘書官に就任。不良債権処理、郵政民営化、通信・放送改革など構造改革の立案・実行に関わる。2004年から慶応大学助教授を兼任。2006年、経産省退職。2007年から現職。現在はエイベックス・マーケティング株式会社取締役、エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社顧問も務める。

 


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