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吉野家ホールディングス会長・安部修仁の僕ならこう考える

吉野家の後継者に河村社長を選んだ理由

安部修仁 [吉野家ホールディングス会長]
【第18回】 2017年2月8日
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経営者の最大の仕事とも言われる後継者育成。自身も「難儀した」と語る吉野家ホールディングスの安部修仁会長に、後継者選びで重要なポイントと、河村泰貴社長を後継者に選んだ理由を語ってもらった。(構成/フリージャーナリスト 室谷明津子)

リーダー育成は
「場を与える」ことから

 後継者を選び、育成するというのは本当に難しい。私はかなり早い段階から「リーダー育成」を経営課題としていたので、それなりに意識が高いほうだったと思いますが、それでも難儀しました。いや、振り返るとむしろ間違いが多かったと言ってもいい。一筋縄ではいかないテーマですが、私の経験をお話ししたいと思います。

管理能力が高い人材が経営者に向いているかといえば、決してそうではない。河村泰貴社長が持っていた、経営者に欠かせない能力とは? 写真:東洋経済/アフロ

 私は1992年に吉野家の社長に就任しました。倒産後の債務を全額返済してから5年経っていて、ヒト・モノ・カネが割と潤沢な時期。吉野家単体で300店舗を超える規模でしたが、まだまだ伸ばせる余地があると思っていました。

 同時に、創業者がつくり出し、倒産時に失いかけた「うまい、やすい、はやい」というバリューを磨き、次世代に残していくには、人材の層を厚くする必要があると考えました。

 そこで、95年からの10ヵ年計画には、新規事業やM&Aを積極的に盛り込みました。目的は、リーダー育成のための場を作ること。人を育てる手段として、私は一貫して「場を提供する」方法を採ってきました。経営計画をつくるときも、あえて吉野家以外の事業を増やし、そのトップにリーダー候補を派遣してマネジメント全般の力を養わせようとしたのです。

 その後、2007年に会社をホールディングス体制にしたときも、経営の新陳代謝という課題がまず頭にありました。幹部候補にそれぞれの事業会社を任せ、経営トップとしてのかじ取りを経験させる。そうやって常に、事業を成長させる計画と、幹部候補やリーダー育成のためのポジション確保を、パラレルなものとして意識してきました。

 なぜなら、経験に勝る教育はないからです。自分で課題を設定し、小さな失敗を重ねながら方法を見つけ、ゴールにたどり着く。そのときの達成感から、再び新たな課題を設定し、挑戦する。そうやってPDCAサイクルを回しながらステップを踏み、ノウハウを蓄積していくことで、人は少しずつ育っていく。

 評価者にとっても、リーダーに適しているかどうかは、場を提供して結果を見ないと、わかりません。高度成長期の日本にチェーンストア経営を持ち込んだカリスマ講師・ペガサスクラブの渥美俊一先生ですら、「社長の適性だけは、やらせてみないとわからない」とおっしゃっていました。ペーパーテストや面接では、リーダーの適性は測れないのです。

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安部修仁 [吉野家ホールディングス会長]

あべ・しゅうじ/1949年福岡県生まれ。福岡県立香椎工業高校卒業後、プロのミュージシャンを目指し上京。アルバイトとして吉野家で働く。72年、正社員として吉野家に入社。83年、取締役開発本部長に就任し、管財人の増岡氏とともに会社再建を目指す。92年、吉野家ディー・アンド・シー社長就任。2000年、東証一部に上場。07年、純粋持ち株会社制に移行し、吉野家HD社長に就任。12年、吉野家HD代表取締役会長に就任。2014年5月、吉野家HDの代表取締役を退任。8月、事業会社「吉野家」社長を退任。現在は吉野家HD会長


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