「大都市は自由で平等で
民主的ではない」

──なぜですか。

 そもそも京都というのは恐ろしく土着性が高く、土地を苗床とした人間関係が強い封建的な土地柄です。さらに私の出身校である立命館大学は、(他大学同様)小・中・高校が付属していて、内部進学者がいる。まさにリア充の宝庫でした。入学前に、頭も金髪にして大学デビューに望んだのですが、まるで相手にされませんでした。

 田舎から出てきた人間は、「大都市は自由で平等で民主的だ」と考えがちです。だから土地を移動することによって「地元で冴えなかった人間が大学入学後別人のようにモテて社交的になる」みたいな、「大学デビュー」を夢想するのです。しかし後天的にリア充になることはできません。土地に土着してスクールカーストの支配層にいない限り、リア充になるのは永久に無理です。なのに、頑張って後天的にリア充になろうとしている人たちが「意識高い系」というわけです。

 僕は20歳の時に、リア充とは同じ土俵で勝負できないと悟りました。

──理不尽じゃないですか。

 理不尽です。でも、親から受け継いだ土地、つまり相続された土地の上で蓄積された、一言で言うと「余裕」にはどんなに頑張ってもかなわない。長い時間の積み重ねで、その人の立ち居振る舞い、真の意味での社交性などが醸成されるので、かなわないのは当然なんですよね。

 リア充とは親から受け継いだ「土地」を苗床とする物心両面で余裕のある存在・社会階層のことをします。必ずしもリア充=恋人の有無、ではありません。

 例えば、僕の場合、両親が世田谷に80坪ぐらいの土地を持っていて、家賃の心配がなくて、親元から都内の大学に通って、親が死んだらそこ相続して……というリア充のライフスタイルだったら、今のように世の中に関心も持たなかったと思います。こんな本も書いていません。