そもそも世の中や社会に関心を持つのは理不尽だからです。支配者層にいれば、世の中は理不尽だなんて思わないですよね。理不尽を与える側ですから。僕は理不尽を感じるからこそ、こういう仕事をしているわけです。

――著書の中で、古谷さんは自分について『「意識高い系」の要素を兼ね備えているが、「この嫉妬を隠さない」という、自意識の一点においてのみ、私は自らを「意識高い系」とは思わない』と書いているのが印象的でした。

 嫉妬は不細工で醜くグロテスクですが、嫉妬していることが努力の源泉になるんです。「意識高い系」の人たちは、青春時代に散々恥辱を味わってきたので、大人になってそれをもう一回開陳することは絶対できない。自意識が崩壊しちゃうから。でもそれをやらないと絶対、人間は進歩しないんです。

 僕は18歳まで童貞で、女性にモテませんでした。煌びやかなリア充にすごく嫉妬し、絶対超克してやると思ってきました。しかしその嫉妬こそわが人生の原動力です。それを隠すつもりはありません。

――逆に、リア充に対する嫉妬を隠して、自分の自己評価を不当に高く見せびらかそうとしたりするのが意識高い系なのだ、と。

 そこが彼ら、彼女らの気持ち悪さ、違和感、不快感の原初です、自分の優位性を確認、宣伝するために他者へのアピールや見せびらかしをする。本当は彼らは青春時代暗かったわけで、他者や異性からの承認に飢えているのですが、その欲望をストレートに開陳するだけの度量はない。欲望はグロテスクで具体的だから、その醜い自分と向き合うことはできないのです。

 本来、嫉妬から超克するためには額に汗して努力したり、本を読んで勉強するしかないわけですが、「意識高い系」の人々は勝利や成功の部分だけをトレースし、汗臭い努力を忌避したり、あるいはそういった努力をする人自体を見下す傾向にあります。彼らは努力で以て本当の支配者になることもできない中途半端な人々だからです。中途半端な連中ほど他者を見下したり、比較したがりますね。

実例でバッサリと斬る
「意識高い系」と「意識が高い人」

――本書では、ノマドワーカーのパイオニアである起業家の安藤美冬さんに憧れる人々や、ツイッターでセレブ美女として有名になり偽ブランド販売の詐欺罪で逮捕された「ばびろんまつこ」などを、典型的な「意識高い系」の人々としてバッサリ斬ってますね。特に、2014年の衆議院解散選挙の際、小4偽装サイト事件を起こした慶應義塾大学の青木大和さんの例を、SEALDsの奥田愛基さんと比較して分析しています。冒頭でも、奥田さんについては、単なる「意識が高い人」と評価していましたが。

 奥田さんが「意識が高い人」であるのに対し、青木さんは「意識高い系」です。彼の出発点は「高校時代にモテなかった」。はっきりと本人がそう書いています。そこで若者と政治だの、18歳選挙だの、「政治的に意識高い」ことを大学入学後にやり始めた。彼なりの「大学デビュー」のカタチというところでしょうか。ですが出発点は承認欲求です。