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金利と経済 高まるリスクと残された処方箋
【第5回】 2017年2月27日
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翁邦雄 [おきな・くにお]

「シムズ理論」を使うと物価安定は破壊される
期待に働きかける「無責任」政策の危険性

昨年、浜田宏一・内閣官房参与の発言をきっかけに、クリストファー・シムズ米プリンストン大教授らが唱えてきたFTPL(物価水準の財政理論)理論が日本国内でにわかに注目を集めた。FTPLは必ずしも新しい議論ではなく、日本でも2000年代から一部で注目されはじめ、金融緩和とインフレの結びつきが希薄化するなかで関心を呼んできた。今回、再び注目が高まったFTPLのロジックから、日本が本当に読み解くべきこととは?
<詳しくは新刊『金利と経済』でご覧いただけますが、同書で取り上げたトピックに一部手を加えてご紹介していきます>

 2016年11月15日付の『日本経済新聞』で、金融緩和主導のアベノミクスの理論的支柱とされ、財政規律毀損の観点からヘリコプターマネーに否定的な論陣を張っていた浜田宏一・内閣官房参与の発言が大きな反響を呼んだ。

 「私がかつて『デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象だ』と主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考えが変わったことは認めなければならない」と語ったからである。

消費増税で財政が好転し過ぎる、という予想で物価が下がったのか?

 浜田氏は、この変心の理由について「ジョージ・ソロス氏の番頭格の人からクリストファー・シムズ米プリンストン大教授が8月のジャクソンホール会議で発表した論文を紹介され、目からウロコが落ちた。金利がゼロに近くては量的緩和が効かなくなるし、マイナス金利を深掘りすると金融機関のバランスシートを損ねる。今後は減税も含めた財政の拡大が必要だ」と説明しており、これ以降、「シムズ理論」は大きな脚光を浴びている。

 シムズ理論(シムズ自身は、自分はこの理論の創始者ではないとしている)とされているFTPL(物価水準の財政理論)は、必ずしも新しい議論ではない。日本でも、リフレ派の主張に懐疑的な人たちによって2000年代から注目されはじめ、金融緩和とインフレの結びつきが希薄化するなかで関心を呼んできた。

 シムズは、2015年8月のインタビュー(※)のなかで、この理論の骨子について、均衡では政府債務を物価水準で割った実質価値が政府の将来のプライマリーバランスの割引現在価値と一致しなければならない、というものであり、企業金融で企業の株価が将来の予想配当の割引現在価値と一致しなければならないのとロジックは同じ、と説明している。

 この関係からは、政府債務が増加したのにプライマリーバランスの予想が変化しなければ物価が上がり、プライマリーバランスの予想が好転したのに政府が財政を拡大しなければ物価が下がる、ということが予想される。

 浜田氏に衝撃を与えたという2016年8月のジャクソンホールのスピーチで、シムズは日本についても触れており、インフレ目標が達成される前に、消費税を引き上げたことがデフレ脱却を妨げたのではないか、としている。

 この場合、消費税引き上げのデフレ脱却への悪影響は、通常のロジック━━増税による可処分所得の減少が、消費を抑え需要を減らす━━とはまったく異なるメカニズムが想定されている。FTPLに照らすと、消費税増税で人々がプライマリーバランスの予想を好転させた一方、政府が財政支出を拡大しなかったので、人々は、政府債務の実質価値とプライマリーバランスの予想割引現在価値を比較した結果、物価が下がる必要が生じると考え、デフレになった、ということになるのである。

 日銀も指摘しているように日本の自然利子率の趨勢的な低下は顕著であり、財政の持続性も先進国でもっとも危機的な状況が続いている。浜田教授の指摘するように、通貨量の増加というリフレ政策が失敗したのは事実としても、その理由として、日本の人々が「消費税増税でプライマリーバランスの予想が好転したのに、政府が財政支出を拡大しなかったので、均衡を維持するには物価が下がる必要があると考えた」というロジックは説得力をもつだろうか。

 FTPLに関心をもってきた人々は、これまで、むしろ『日本は政府債務残高が無責任ギリギリの水準まで膨らんでいるのに、FTPL的な反応がまだ起きないのはなぜなのか』と悩んできたようにみえる。

 異次元緩和で国債市場からのシグナルを殺していることもあり、財政危機への懸念は経済人の間でも高くない。そうした状況の下で、2014年4月の消費増税効果後の経済停滞のみに着目し、これを理由に、FTPLのロジックが日本経済を動かしている、と考えるのは無理があるだろう。

 しかし、このことは、FTPLが荒唐無稽ということではまったくない。FTPLのロジックが日本経済に貫徹し、財政規律が緩むという期待が物価上昇に直結するようなレジームシフトが起こる可能性は十分に存在すると思う。その意味でFTPLは気にかけておく必要がある理論だ。

 しかし、もしFTPLのロジックをデフレ脱却に使うなら、財政がいかに危機的な状況にあり、政府は、そこでさらに財政規律を緩めることでインフレを起こそうとしているのだ、ということを人々が認知する必要がある。

 日銀が期待への働きかけに失敗したように、人々の期待を機械的に操作することは難しい。金融政策の期待への働きかけと同様に、財政についても「管理された無責任」は難しい。しかし、「徹底した無責任」ならば、期待に働きかけられることは間違いない。そのようにしてFTPLのロジックが国民にしっかり認知された場合、人々は、インフレ率は到底2%程度では止まらないのではないか、と先行きの物価に大きな不安を持つようになるはずである。

 かつて、グリーンスパンは連邦準備制度理事会だった当時の講演で「物価の安定」とは、「経済主体が意思決定を行うに当たり、将来の一般物価の変動を気にかけなくても良い状態」と定義した。FTPLのロジックを使い、政府が無責任であることを強調することは、この物価安定の定義と真逆のインフレを作り出そうとするものだ、と言ってよいだろう。

(※)http://www.centralbanking.com/central-banking-journal/interview/2421579/nobel-economist-sims-on-fiscalstimulus-eurozone-loss-sharing-and-role-of-central-banks

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翁 邦雄 [おきな・くにお]

京都大学公共政策大学院教授。1974年日本銀行入行。同調査統計局企画調査課長、同金融研究所長などを歴任。2009年4月より現職。専門は金融論、金融政策論、国際金融論。『期待と投機の経済分析』(東洋経済新報社、1985年、日経図書文化賞受賞)、『ポスト・マネタリズムの金融政策』(日本経済新聞出版社、2011年)、『日本銀行』(ちくま新書、2013年)、『経済の大転換と日本銀行』(岩波書店、2015年、石橋湛山賞受賞)など著書多数。東京大学経済学部卒業、シカゴ大学Ph.D.(Economics)取得。


金利と経済 高まるリスクと残された処方箋

黒田日銀発足から4年弱の間に、量的・質的金融緩和政策は、マイナス金利政策を経て、イールドカーブ・コントロールへ到達しました。これらの政策の中身がいったいどのようなもので、日本経済にどのような効果と副作用を及ぼすのか、「金利」を軸に解きほぐしていきます。

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