忘れ去られた被災者たち
4月14日、ちょうど仙台空港が再開した日に、取材で再び被災地を訪れました。
新聞やテレビは、空路の再開を機に、復興ムードの論調へ大きく転換したような気がします。しかし、被災地の方たちの心の問題は、目に見える復興とはズレが生じていると感じました。
仙台空港近辺には、いくつかの小さな町があります。町の人たちは、空港が再開してもらわないと物資が来ないので、その必要性を十分に理解しています。ただ、空港の再開を最優先したために、人手と重機はすべて空港に持っていかれたといいます。近辺の小さな町には、空港の再開とは裏腹に、復興が手つかずのまま放置されているという皮肉な現実がありました。
前回、震災から十日あまりの被災地を訪れたとき、津波の被害が大きかった地域のそばでお菓子屋さんとお寿司屋さんが営業していました。今回はそこへ立ち寄りましたが、お客さんはほとんどいません。
聞くと、震災の直後、尋常ならざる事態のなかで、お寿司屋さんは店に残っていたすべての材料を使って大量の稲荷ずしを作ったといいます。お菓子屋さんは、停電で機械を動かすことができなかったので、手作業でできる範囲でお菓子を作ったそうです。
「お互いさまだからね」
そう言って、お寿司屋さんもお菓子屋さんも被災者に無料で配りました。