AIの台頭や一層のグローバル化、就活の地殻変動などの影響で到来する「仕事が消滅する時代」。本連載では、藤原和博氏の最新刊『10年後、君に仕事はあるのか?』の内容をもとに、「高校生に語りかける形式」で2020年代の近未来の姿や、未来を生き抜くための「雇われる力」の身につけ方などをお伝えしていく。今回は連載第13回目、テーマは「教師の未来」。

ロボットには「学ぶ喜びを教えること」はできない

グーグルに神が宿る日

 ここでは、1つの仕事に絞って、AI×ロボットの時代にも活躍できる人間の力について考えていきましょう。

 取り上げるのは「教員」という仕事です。

 君が現在、学校で先生から習っている知識の大半がネット上でタダで学べてしまう時代に、それでも先生を必要とするなら、それはどんな先生なんだろうということ。

 この、テーマを考えてもらうとき、2015年にテレビでひんぱんに流れていたグーグルのコマーシャルを思い出してもらいたいと思います。

 さまざまな場面で、若者がスマホに話しかけ、ネット上から情報を得ようとするシーンが続くコマーシャルです。いまでもユーチューブでこのグーグルアプリ「いけるかな?」篇は見られます。

 大学生らしき研究者が「月までの距離は?」と聞きます。これは正解のある問題ですから、音声認識ソフトが認識してくれれば、どこかから答えを探してきてくれるでしょう。

 ちなみに、原稿を書きながら、いま僕がグーグルで「月までの距離」と検索してみたら、すぐに「38万4400km」と答えが出てきました。

 問題は次です。高校生らしき野球少年が校庭での部活の練習時に「ここから甲子園まで」と聞くんです。いかにも、あまり有力校ではない感じの匂いがします(笑)。

 これを観た瞬間、僕は、未来社会を予言するのに象徴的な問いかけだなと思いました。彼は「学校から甲子園までの距離」を聞いているんじゃありません。甲子園まで最短時間で行ける電車のルートが知りたいわけでもない。真剣な眼差しで「どうしたら、自分たちが甲子園に出られるようになるか。どんな練習をしたら、強豪チームにも勝てるほど強くなれるのか」を聞きます。

 この質問には、珍しくスマホが沈黙するんです。そう、答えは出てこない。

 でも、答えが出ないのは、いま現在だからでしょうね。

 10年後はどうでしょう。高校野球で全国の弱小チームがいかにして勝ち上がったか、どんな監督を迎え、どんなメンバーを集め、どんなメニューで練習を積んだ結果、強豪チームに変貌したのかというデータが続々とネット上に載るようになったら、どうでしょう?

 誰かが真剣に取材すれば、100チームくらいのデータはいまでも集まるはずです。

 これらの大量なデータをAIに分析させれば、最も効果の高い「甲子園への最短の道」が導き出される可能性は否定できません。すでに開発されている「ディープ・ラーニング」と呼ばれる技術を使えばできるんです。

 だとすると、「彼女が喜ぶ誕生日プレゼントは?」「東大医学部の入試に受かる可能性は?」「2028年のオリンピックで、僕がメダルを取る道は?」……などのような無数のつぶやきに対して、グーグルから即座に「お告げ」が来る未来は遠くないように思います。

 それを信じるか信じないかは君の勝手ですが、ネットと人間がこういう関係になることは間違いないでしょう。

 僕は、この現象を、グーグルに神が宿る日と呼んでいます(笑)。

 さて問題は、そうなったとき、教員という仕事は生き残るのだろうかということ。スマホに聞けば、現在ではかなり複雑な分析をしなければならない知識でも、10年後ならほぼ瞬時に答えてくれるとするなら、教員はどうなるのか?

 僕はすべての学校で、当事者である先生たちがこの問題を議論してくれたらいいなと考えています。ネット上にほぼすべての知識が載るのは、時間の問題だからです。有史以来、人類のすべての知恵に匹敵する膨大なデータの複雑な分析が可能になって、あらゆる質問に瞬時に答えられるシステムがスマホの向こうに用意されたら、君の前に立っている先生は、何をすればいいんでしょうか?

 ただ生徒と一緒に検索する……?

 ネット上にすべての知識が埋め込まれ、神が宿ってお告げをするようになったら、教員はお払い箱になるのか?

 いや、そうではないと、僕は断言できます。

ロボットには「学ぶ喜びを教えること」はできない

 学力側の知識はそうかもしれません。正解はすべてネット上に載ることになりますから。しかし、アクティブ・ラーニングの技術を身につけて、先生と生徒が試行錯誤しながら「納得解」を作り出す、こういった授業ができる教員は生き残るだろうと思います。

 では、仮にある種の感性をも獲得したAIロボットが先生となって、ブレストやディベートを進行できるようになったらどうでしょう。つまり、2030年代くらいに、僕がやっている「よのなか科」でさえも実施できるAIロボットができちゃったら……。

 僕はそれでも、教員は生き残ると思うのです。

 なぜか?

 教えるマシンとしていかにロボットが完璧になったとしても、学ぶ喜びを教えることはできないだろうと考えるからです。君もそうだと思いますが、子どもって、教えてる大人というよりも、学んでる大人から多くを学ぶものなんです。

 動物が大好きな先生が生物を教えるときの興奮。宇宙が大好きな先生が、尽きない探究心で天体望遠鏡を覗き、ついに流星を撮った写真をうれしそうに見せてくれたときのこと。古典が大好きな先生の歴史的なエピソードを交えたダイナミックな解説。先生たちの「学ぶのが好き!」というオーラが、波動のように子どもたちに共振していく。教育とは、伝染・感染なんだと思うのです。

 だからこそ、読書好きのお母さんの子は本を読むのを苦にしないようになりますし、ピアノを楽しそうに弾く親に育てられれば、自然と音楽に親しむ子になるでしょう。そのなかから、たまにピアニストも育ちます。

 僕はよく、保護者や地域社会の大人たちにこういうメッセージを伝えています。

 「教育は伝染・感染なんです。だから、何かを無理やり教えようとしなくてもいいから、自ら学ぶ姿を見せてやってください。じつは、大人の学んでいる姿こそが、子どもにとって最高の教材なんですよ」と。

 結論。「学ぶのが好き!」というオーラは、グーグルには出せない。

 だから、「学ぶのが好き!」というオーラを出して、子どもたちにその学び方を伝染・感染させている教師は、これからも生き残るだろうと思うのです。