前の回で、ストレスは陽炎のように得体が知れないもの、と書きました。それだけ把握しにくいものだという意味です。ストレスの感じ方が、個人の主観に頼るところが大きいからです。
ストレスの感じ方ほど主観的なものはない
どういうことかと言いますと、あることに対して、似たようなストレスを感じる人はいますが、全く同じように感じる人は2人といませんし、同じ環境にいても、ストレスを感じる人と感じない人がいます。あるいは、同じ人でも、そのときの体調によって、ストレスを感じるときと感じないときがあり、といったように、これほど主観的なものはありません。だから陽炎のように見えたり見えなかったりと、科学的に分析することが難しいのです。
ストレスの全くない生活はありえない
そうは言っても、ストレスは誰にでもある、大変身近なものです。ストレスの全くない生活をしている人はいません。ストレスを感じたくないからと家の中でじっと、何もしないで生きていくことはできません。家の中で、誰かと一緒に暮らしていたら、もうそこにストレスは存在しています。
しかし、人は生きていくための環境を、すべて自分にとって都合よく、居心地よいように変えることはできません。自分の中にあるストレスをコントロールして、生きていかなければならないのです。ストレスとの共生です。ストレスには、自分中心に主観的なコントロールが必要です。これは、わがままとは違います。他人に迷惑をかけることとも同じではありません。
よく気分転換のことを、「ガス抜き」と言う人がいますが、これは溜まったストレスをどこかに出してしまう、ストレスをゴミのように捨ててしまうことを意味しています。「ガス抜き」は確かにストレスコントロールのひとつであることには違いありませんが、いつどのように、どこにむかって、あるいは誰にむかって「ガス抜き」をしたらいいのでしょう。
ストレスの整理整頓
私たちは、ストレスについてさまざまな形で表現をしています。自分は、どんな時に、何にストレスを感じることが多いかの整理がつかず、ストレスの認識がバラバラでは、コントロールも行き当たりばったりになってしまいます。ストレスが多いなと感じたら、一度ストレスについて整理してみるといいでしょう。今自分にかかっているストレスがどんなものか、どれだけインパクトが強いのか、その種類は何かなどが整理できると、どうしたらコントロールできるかが解りやすくなると思います。