「飯・風呂・寝る」の生活を「人・本・旅」に、それが働き方改革の本質だPhoto by Yoshihisa Wada

「なぜですか病」と「星取り表」の新人時代

 4月に入り、街が少し華やいで見える。まだ慣れていないと分かるネクタイの結び目や、丁寧にアイロンをかけた真っ白なブラウスの襟。仕事人としての生活が始まったことへの緊張と安堵が交じったような表情。かつて、自分はどんな新人であったかと思いがよぎる。

 講演に呼ばれると、「出口さんの社会人生活の始まりはどんなものでしたか」と質問されることも多い。残っている記憶は実に鮮明で、僕は「なぜですか病」の新人だった。一方で、だからこそ仕事に対して一生変わらない思いを持つようにもなった。

 京都大学を卒業し、司法試験に落ち、無礼な僕を拾ってもらったのが日本生命保険だった。まず配属されたのが京都支社で、事務を担当した。

 僕は何事でも、中途半端な理解のままでは行動できないタイプなので、新人時代も上司に、「この仕事はなんのためにやるのですか」「これはなぜ僕がやるのですか」などと、「なぜですか」を連発していた。上司には、「君のようなうるさい新人は見たことがない」と嫌がられていた。でもこれは僕の癖で、目的が分からなければエンジンがかからないのだ。

 決して仕事を減らしたいとか、手を抜きたいのではない。仕事の目的がわかれば、後は「この仕事を効率よくかつ面白くするにはどうしたらよいだろうか」と自分でとことん考えるタイプでもあったからだ。

 就職とは会社と雇用契約を結ぶことだ。何時から何時まで働き、労働の対価としていくら払う云々。しかもいっぱしの大人として自分の責任で結んだ契約である。

 だとすれば仕事を効率よくかつ面白くしたほうが双方にとって得だし、「面白くないな」と思いながら9時から18時まで働くよりは、どうしたら仕事は面白くなるだろうと考えながら過ごしてこそ生産性も上がるし、日々の生活も圧倒的に充実する。だから、仕事の目的が本当に腹に落ちていないと仕事はできないのだ。

 しばらくすると、「なぜですか病」にうんざりしていた上司から、「出口は、あまり仕事のやり方を聞かないな」と不思議がられるようになった。しかし僕からすれば目的が腹に落ちていれば、求められているアウトプットも理解でき、後は自分で考えればいいと思っていただけだった。周りの先輩たちの仕事の仕方を参考にはしたが、それはあくまで参考であって、自分なりの効率よく面白いやり方を創ろうとしていた。

 例えばロールモデル方式で、「この人はすごい」と思った先輩や上司のやり方を徹底的に研究し、「1年後には僕のほうが上手に仕事をしてみせる」と決意すると、これが意外にもできてしまうものなのだ。

 もう一つやり続けていたのが「星取り表」だ。上司から仕事を頼まれると、どんなアウトプットが必要かを考える。そして報告の際に、上司が重要なポイント3点を指摘して僕が5点考えていたら僕の勝ちだ。

 逆に、僕がまったく気づいていなかった点を指摘されると完敗。「もうちょっと仕事を深く考えなければいけないな」とか「腹落ちが足りていなかったな」などと反省する。

 そういう勝負が1日に5回あり、4勝1敗ならば「本日は勝ち越し」と気分がよくなり、帰りに居酒屋に寄る。「負け越し」ならばおとなしく家に帰り資料を読んだりして勉強した。

 星取り表には時間軸も加味していた。つまり勝った回答や報告を短時間で用意できたら「圧勝」。どんなすばらしい報告でも、だらだらと時間がかかっていては、決して優れた仕事とは言えない。

 2日も負け越しが続くと、「これはあかん。気が緩んでいる。気合を入れないと」などと自分を引き締める。そんな新人時代だった。