東芝の半導体事業をけん引してきたフラッシュメモリーを発明した舛岡富士雄・東北大学名誉教授は「東芝では当初、フラッシュメモリーの技術は全く評価されなかった」と語る。

 フラッシュメモリーは、デジタルカメラ、メモリーカード、スマートフォン、パソコンなどの記憶媒体に使われて市場を拡大させてきた。ここ数年、インターネットのクラウドサーバのデータセンターで、ハードディスクドライブ(HDD)からの置き換えも本格化し、一段と需要が拡大している。さらに、IoT(モノのインターネット)で収集した情報をAI(人工知能)で解析するというビッグデータの時代には、その需要は爆発的に広がる見通しだ。

 舛岡氏には、東芝で経験した開発秘話と、この事業を手放すことになった東芝への思い、さらには、衰退著しい日本の半導体産業に向けての提言を聞いた。

――1980年代にフラッシュメモリーを発明されました。最初のきっかけを教えてください。

ますおか・ふじお/東北大学名誉教授。1971年東北大学大学院修了、東芝入社、84年フラッシュメモリを学会発表、94年退社、74歳。

 NOR型というフラッシュメモリーの特許を出願したのは1980年。当時、私は、東芝が力を入れていたDRAMの事業部に在籍していました。だから、勤務時間外の土日に特許を書いたわけですが、特許は出しても、DRAMの事業部にいたので開発はできませんでした。

 DRAMの工場にいながら考えていたのは、計算機(コンピュータ)の記憶装置は揮発性(電源を切ったらデータが消去)の半導体のDRAMが支配しているけど、不揮発性(電源を切ってもデータは保持)の外部メモリーの分野はフロッピーディスクや磁気テープの世界だなと。しかも、この市場は、コンピュータの記憶装置より圧倒的に市場が大きい。ここを、不揮発性の半導体メモリーに置き換えれば、半導体産業の未来は大きく開けるだろうと考えたわけです。

――目を付けたのは、フロッピーとテープの市場だったんですね。