個人の中の働き方改革
「幸せな人生」とは何かの探求

 この1年ほど、ビジネス界は「働き方改革」バブルである。電通の新入社員の自殺をきっかけに、この問題は社会的な関心事となり、どの企業でも、働き方について何らかの取り組みを行うようになってきている。もちろん、このコラムでも何度も取り上げている。

 政府の考え方は、マクロな人口動態を踏まえたものだ。これから生産年齢人口が激減し、高齢者が増え社会保障費が膨れ上がる中、それでも経済成長を続けるためには、労働生産性を上げなくてはならない。

 それが追い付いていないから、長時間働くことを余儀なくされる「社畜」が増え、企業はブラック化する。そのためには人材開発や生産性の向上が不可欠だ。

 こういったマクロな問題意識による働き方改革が進められる一方で、個人は、「幸せな働き方」「幸せな人生」とは何かを、考えなくてはならない時を迎えていると筆者は考えている。なぜなら、それこそが働き方改革の真の目的だからだ。

 戦後からバブル崩壊期までは、「幸せな人生」は、定型化していた。一生懸命勉強し、いい大学に入り、大手企業に定年まで勤めれば、「幸せな人生」が送れるといわれていた。皆深く考えることなく、それに向かっていけばよかった。

 しかし、今はそんな定型は通用しない。大手企業も簡単につぶれる時代だ。いかに働き、いかに生きるかを若い時期から考えなくてはいけない。