季節は夏本番の8月に入ったが、政治の光景はますます国民から遠ざかっているように見える。この間、何人かの政府要人と面会する機会があったが、その政治家から何度か同じようなコメントを聞かされた。
「菅首相は、もうまもなく辞めるはずですよ」
他人事のように突き放す、政治家の存在には違和感を覚えるが、その発言から伺えたのが、一国の首相の孤立ぶりだった。この国の首相は退陣かどうかのまさに際どい政権末期の局面に立たされている。その答えはもう間もなく出されるだろう。しかし、私がこの夏、特に気になったのはそうした政局の緊迫感よりも、その菅首相が国会で行った国民への謝罪だった。
7月22日の参議院予算委員会、そこで首相は、政権交代を果たすことになったあの2009年の衆議院選挙時の民主党のマニフェスト(政権公約)に関して、それが実現出来ないことを初めて正式に認め、こう陳謝している。
「本質的な方向は間違っていないが、財源問題で見通しが甘い部分があった。不十分な点は国民に申しわけないとお詫びしたい」
謝罪した首相の視野に
国民の姿は全く無い
マニフェストとは、簡単に言えば、選挙で政党が有権者に実現を約束した政策集である。その約束が実現できなかったことを首相が認める。それ自体、極めて異例だが、間違った行為とは言えない。
私が気になったのはこの謝罪自体の目的である。つまり、「何のための謝罪なのか」。もっと率直に言えば、「何をいまさら」、という思いもある。
その当初から私たちのNPOも指摘していたが、民主党のマニフェスト自体は、政策目的が曖昧なバラ撒きリストに過ぎず、その後、1年足らずで、財源不足からその大部分が断念や修正に追い込まれている。