放射性セシウム134、137との闘い
――中長期間の避難は避けられない
東日本大震災に伴う原発事故から5ヵ月以上たち、警戒区域・計画的避難区域を含め10万人近い人々が避難生活を余儀なくされている。多くはようやく仮設住宅や民間アパートなどで仮住まいを始めた。しかしこれまでのように広い敷地のある住まいではない。バラバラに住まざるを得なくなった家族も少なくない。避難生活による精神的、肉体的な影響も出始めている。農作業で体を動かすことがなくなり、肥満気味になったり血糖値が上昇したりする人もいるという。何より避難を強いられながら、十分な補償が得られていない。いつ帰れるのか見通しもなく、いたずらに時間が過ぎていく。それがまたストレスになっている。
筆者は3月に飯舘村周辺の放射能汚染調査に加わって以来、ほぼ毎月現地での線量調査を続けているが、村南部には現在でもまだ毎時10マイクロシーベルトを超えるような場所がある。文科省の発表では、浪江町の赤生木椚平で毎時35マイクロシーベルトを記録している(7月29日)し、より第一原発に近い大熊町小入野では毎時81マイクロシーベルト(7月18日)というきわめて高い値だ。これは屋外で8時間を過ごすと仮定した文科省の基準でも、年間500ミリシーベルトの外部被曝を受けることになってしまう。
事故そのものが収束していない現在、新たな放出による降下も多少はあると思われるが、それを考慮しないで考えてみる。大量放出から5ヵ月以上がたち、ヨウ素130などの短寿命核種はほぼ消失していて、今後はセシウム134(半減期約2年)とセシウム137(同約30年)との闘いになる。
今回放出された両者の放射能比はほぼ1対1だが、線量率への寄与度は134が137の約2倍あるので、134の放射能が半減する2年を過ぎると線量率は3分の2になる。134の放射能がほぼ無くなり137の放射能が半減する30年後には6分の1~7分に1になると予想される。雨による流出や地下への沈降も考慮すると、10分の1程度には減少するかもしれない。それでも現在毎時10マイクロシーベルトの場所は毎時1マイクロシーベルトに留まる。年間の外部被曝量は、ICRP基準で通常時の1ミリシーベルトを大きく超える5ミリシーベルトになってしまう。これでは帰還は短期的には難しいと言わざるを得ない。