モレスキンをキャンバスに見立てて絵を描く。そうした画家が使うスケッチブックというイメージは根強い。けれど、モレスキンはもっと柔軟だ。日常をポジティブに変える「変化としてのアート」を紹介。

モレスキンノートをキャンバスとする人々

 ゴッホ、ピカソ、ヘミングウェイ、チャトウィンという名だたるアーティストや思想家に愛された伝説的ノートブックを甦らせた背景もあり、モレスキンノートとアートは切っても切れない関係を結んでいます。

 海外のサイトでは 「'skine.art」や「Urvan Sketchers」を閲覧すると、多くのユーザーたちがモレスキンに描いたアートを閲覧することができます。モレスキンノートをキャンバスとして利用し、毎日多くの画像がアップされています。

 Flickrなどのサービスでも「moleskine art」などのキーワードを検索すると数えきれないほどの芸術作品に触れることができます。公開される多くの芸術作品の美しさには息を飲むものがあります。

 日本人でも多くのモレスキンユーザーが、多くの芸術作品をこのモレスキンノートの中に残し続けています。モレスキンは芸術的な感性あふれるノートなのです。……と、ここまではモレスキンノートにまつわる話としてよく聞く話です。

 さて、今回触れてみたいのは、「日本のモレスキンのアートシーンは実際にどのようなものなのか?」ということです。

日常生活の中に現れるアート

 日本で、モレスキンに芸術的な作品を残している多くのユーザーの方々に接して思ったことなのですが、不思議なことに「モレスキンノートをキャンバスと見なし自分の芸術作品を作りあげてみせよう!」といった姿勢でいる方にはなかなか出会うことができませんでした。

 日本のモレスキン・アーティストの方々が生み出すすばらしいページの多くが、「日常生活に根ざしている行為の中で生まれるものが多い」ということに気がつきました。

 そして、彼らは日常生活の中で、その日食べたもの、見たもの、聴いたこと、着たもの、何でもないようなワンシーンをその視点で鋭く捉えており、結果としてアート作品として成り立っているものが多いと思いました。

 また、文字を書き付ける中で、ちょっとだけ隅っこにメモがわりに描いた何気ないイラストレーションが、キラリとした光のようなものを放つ。そういったモレスキンノートを多くみることができました。

 まず1個の人間が生きている。その日常生活と言う冒険において、結果としてモレスキンノートがキャンバスとして成り立っていました。これらはどこかで見覚えがあります。例えば「絵日記」などです。