作家であり、金融評論家、社会評論家と多彩な顔を持つ橘玲氏が自身の集大成ともいえる書籍『幸福の「資本」論』を発刊。よく語られるものの、実は非常にあいまいな概念だった「幸福な人生」について、“3つの資本”をキーとして定義づけ、「今の日本でいかに幸福に生きていくか?」を追求していく連載。今回は「周囲にいる人と幸福の関係」について考える。
感情は同調する
1998年11月12日、テネシー州の高校で一人の女性教師がガソリンの臭いを感じ、頭痛、息切れ、めまい、吐き気を訴えました。その様子を見た何人かの生徒がすぐに似たような症状を示し、事態のなりゆきを見守っていたほかの生徒も気分が悪いといいだし、火災報知器が全校に鳴り響き、警官、消防士、救急医療員が出動しました。最終的に病院に向かった教師や生徒は100人にのぼり、38人が入院して学校は4日にわたって閉鎖されました(クリスタキス/ファウラー)。
ところが不思議なことに、消防署、ガス会社、労働安全衛生局が徹底的に調べても原因は見つかりませんでした。さらに奇妙なのは、5日後に学校を再開したとたん71人が体調を崩し、またしても救急車が呼ばれたことです。
この事態の解明に連邦環境保護庁、有害物質・疾病登録局、国立労働安全衛生研究所、テネシー州保険局、テネシー州農務局などが乗り出しますが、どれほど調べても原因物質を見つけることはできません。
これを受けて、疾病対策センター(CDC)の疫学調査部門が出した結論は「集団ヒステリー」でした。異臭で気分が悪くなったのは、病人を直接目にした女性たちだけだったのです。
この社会現象は現代では「集団心因性疾患(MPI)」と呼ばれています。MPIにかかったひとは仮病を演じているわけではなく、頭痛や吐き気はまぎれもなく本物です。しかしその身体症状は、一人の女性教師の感情の変化を目にした女生徒たちが、無意識のうちに感情を同調させる心理的カスケードだったのです。