人は氏か育ちか? 病気になりにくい遺伝子を作ることはできるのか? 遺伝子はタレント名鑑みたいなものである? 福岡伸一教授の説くエピジェネティクスワールド最終回。

「氏か育ちか」論争に決着をつける

――遺伝子をコントロールすることは可能でしょうか

【最終回】あまりに多すぎてコントロールできない<br />遺伝子操作の限界はどこにあるのか青山学院大学 教授・生物学者 福岡伸一氏

 人間のタイムスパンでコントロールできることじゃないと思うんですね。エピジェネティクスがわかるほど、より遺伝子操作が簡単になるとは思えないです。今の遺伝子組み換えは、Aという遺伝子を別のA’にすげ替えれば、そこの歯車が大きくなるので、速く回って細胞全体の生産量が上がりますという機械論的な考え方に基づいています。

 けれど、エピジェネティクスのことがわかればわかるほど、単純なすげ替えでは思ったような効果は出なくなるんじゃないでしょうか。遺伝子がどういうタイミングで、いつ働くかを支配しているエピジェネティクスな要素はものすごく多くて、それを全部コントロールしないと遺伝子操作はうまくいきません。全部コントロールするのは、ある意味不可能なことなので、思っていたほど遺伝子は簡単じゃないということが、ますます明らかになっていく気がします。

 これまで「氏か育ちか」のように、遺伝子が決めていることと環境が決めていること、寄与率はそれぞれどれぐらいかという永遠の生物学の問いかけがあって、結局はどちらも同じぐらいということになっていました。その境界線がますますわかりにくくなっていくと思うんです。

 犬もそうなんですけれど、犬ってセントバーナードからチワワまでものすごいバリエーションがありますよね。でも生物学的には一種です。種は交配が可能であれば同じ種と考えることができるんです。犬は、現実的にはなかなか難しいかもしれませんが、チワワとセントバーナードを交配して子犬を作ることはできるので、同じ犬という種なわけです。

 でも犬がこれだけバリエーションを持つようになったのは、ここ数百年ぐらいのことじゃないでしょうか。このバリエーションがすべて遺伝子上に起こった突然変異なのかというと、違うと思うんです。突然変異で変わったこともあるとは思います。でも犬がこれだけバリエーションを持って、色々な品種が作り出されたのは、エピジェネティクスなものの結果でしょう。