評論家の西部邁さんが「家族に迷惑をかけたくない」と1月に自ら命を絶った。「病院死を選びたくないと強く感じかつ考えている」「自裁が最も納得的な死に方」と著書で宣言していた。入院での延命治療も自宅介護の道も採らない選択だった。
脚本家の橋田壽賀子さんが「人に迷惑をかける前に死に方とその時期を自分で選びたい」という思いから、『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)を上梓し、大きな反響を呼んだ。
認知症になる前に、身体が動かなくなる前に死にたいと考えた。夫も子どももなく、「天涯孤独の身なので、『もう、いいや』と思ってます」と断言する。いろいろ調べたら、スイスでは外国人を安楽死させてくれると分かり、書名のような心境に至ったという。
著名な2人が死の迎え方を素直に表現した。死についてタブー意識の強い日本社会が少しずつ変わろうとしている。その先駆けのような気がする。
厚労省が11年ぶりに
「終末期医療の考え方」を改定
この3月、国が終末期医療についての考え方を11年ぶりに改めた。厚労省が示した「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」である。死に方をどのように決め、医療はどのように関わるかということだ。「アドバンス・ケア・プランニング(ACP、患者の意思決定支援計画)」と呼ばれる取り組みを盛り込んだ。
日本で終末期医療が検討されはじめたきっかけは、2006年に富山県射水市の病院で入院患者たちの人工呼吸器が取り外された事件が起きたことだった。2007年の指針では、本人の意思決定を基本に、医師だけでなく医療スタッフも加えたチームで判断するよう求めた。
それに対し、この3月に発表された新指針は、日本人の死亡場所が病院から自宅や介護施設に広がってきたことを踏まえ、ケア職の参加を加えた。当然のことだ。
このガイドラインが出る3年前に「終末期医療」を「人生の最終段階における医療」へと名称変更した。だが、新聞などメディアは「終末期」として報じており、なかなか新語が定着しない。
ガイドラインでは「本人が医療・ケアチームと十分な話し合いを行い、本人による意思決定を基本としたうえで、人生の最終段階における医療・ケアを進めることが最も重要」とある。治療内容や療養の場所などを繰り返し話し合い、文書に残すこととした。