誰でもモノを貸したり、借りたりすることがある。小さな助け合いはお互い気持ちのいいものである。借りた人は助かるし、貸したほうも気持ちがいい。
美人にモノを貸すと気持ちのよさは大きくなる。
感謝の表情がいいということもあるが、モノが良くなって返ってくる気がするからである。モノ自体が喜んでいるように見える。貸してよかったと思える。「使ってくれて、ありがとう」と言いたくなる。
美人は痕跡を減らす意識を持っている。
自分が使った痕跡をなるべく残さないような使い方をする。必要に応じてきれいにして戻す。
それはモノだけの話ではなく、はっきり差が出るのは「場」である。自分がいた場所に痕跡をなるべく残さない。場をきれいにしてから去る。そういう行為が気持ちいいと言う。
例えばホテルの退出時。部屋を散らかしたまま出ない。長距離線の飛行機。席を散らかしたまま降りる人が多い中、片付けてから降りている。公共施設。自分が帰るときはきれいにしていく。振り返って確認する。そこに人がいた気配を消すかのように。
美人がさりげなく片付けている姿は美しい。それを気持ちいいと思っているからである。その時「美人のもと」が増えていくのだろう。
借りていた場に対する感謝と場を貸してくれた人への感謝だ。「私、お金払ってるんだし」などといった態度は取らないのだ。
痕跡を残してばかりいる人がいる。推理ドラマの犯人になれば、すぐに捕まってしまうだろう。片付けないことが日常化しているのだ。誰かが片付けるだろうと思っているのか。いや、そんなことも考えていない。見ていて、この人が使った後のトイレは汚いぞと思える。
わかりやすい特徴は髪を撒き散らすことである。落ちた髪をそのままにする。さっきまで自分のものだった抜けた髪の存在など考えないのだ。あちこちで落とす。髪とともに「美人のもと」も落としているのだ。
痕跡を考える。それはモノや場へ感謝の気持ちであり、それは自分を磨いてくれる。