人気蕎麦屋3店を学び歩いた店主。黒姫山の“蕎麦の聖地”で野菜料理に目覚め、フレンチスタイルの料理チョイスのプリフィクスにたどり着きました。

 西麻布の高台には料理に魅せられた仕事人のオーラが輝いていました。

(1)店のオーラ
蕎麦屋のDNAが騒ぎ出した

 ざる蕎麦と蕎麦湯がとても大好きな少年でした。

移り行く春夏秋冬、田畑や野からの恵みを丹念に仕込んで饗応される野菜料理。

 中学の頃にはそれでもたまにはカレー蕎麦を食べ、残りの汁にご飯を入れて食べるくらいはしていたようです。

 父親は出前もするいわゆる町蕎麦を東京・千駄木のほうで営んでいます。二代目は高校の頃も商いには興味が無く、父親が作るざる蕎麦を好んで食べていたといいます。

 ある日、彼の人生を変える出来事が起きます。

店内はシンプルで飾りが無く、余計なものは置かない、それでいて居心地がよい。

 大学卒業後、気ままにフリーターをしていた頃、客が店に蕎麦本を忘れていきます。彼はその本の[手打ち蕎麦屋]の特集ページに興味を惹かれます。それから、熱心に食べ歩きを始めたのです。もちろん、ざる蕎麦専門でした。

 「その忘れ本が無かったら、蕎麦屋にはならなかった」

 そう言って笑うのは、西麻布「たじま」の亭主、田島基行さんです。

 田島さんは何かに追われるように、ざる蕎麦の美味しい蕎麦屋を求めて歩きます。

 白金プラチナ通りに「利庵(としあん)」という手打ち蕎麦屋があります。15年前、蕎麦好きの間でちょうどブレークしていた、話題の店でした。

蕎麦はエッジがすっきりと立ち、涼やかな顔立ち。江戸蕎麦の流れを追いかける。

 「その蕎麦を食べて、これはと思って、利庵に勤めたいと思ったのです」

 その頃、田島さんは昼はイタリア料理屋、夜は居酒屋でアルバイトをしていたのですが、どうせなら好きなものを食べて、生活が立てられたらいいと思ったのです。

 店からは半年待てば入れるといわれたのですが、田島さんは急いでいました。