時間の不思議

 時間の市場はない。他人の時間を買って、自分の時間にするような取り引きはできない。また、時間を銀行に預けて、貯蓄することもできない。熱心に仕事に打ち込んでいても、油を売っていても、サボって寝ていたとしても、どのみち時間は流れてしまう。だから、ついつい深く考えずに時間を使ってしまう。時間の大切さはだれもが認識していながら、往々にして時間を無駄にしてしまう。それが人間だ。

 時間は均一ではない。どこにいても、だれにとっても、時間は等しく進むという感覚は、ニュートンの時代には当てはまっていたかもしれない。だが、アインシュタインの相対性理論では、時間は見ている人の立ち位置によって、異なってしまうことになる。つまり、移動している人の時間は、止まっている人の時間より長くなる。時間は相対的なのだ。光の速度で移動することができればの話だが、移動している人の時間はゆっくりと進むので、「浦島太郎」のようなことも起こる。

 そして、時間は安定しない。人間の心理に目を向ければ、時間はとても柔軟であり、その場に応じて伸び縮みする。同じ1時間でも、退屈な講義を聞いているときには、永遠に続きそうに思えるし、意中の相手と一緒にいるときには、あっという間に過ぎ去るものだ。そこに時間の逆説があり、面白味もある。

 クレアモント大学ミハイ・チクセントミハイ教授は、スポーツや外科手術やプログラミングなど、1つの活動や状況の下で極度に集中し、完全に没頭している状態を、「フロー経験」と呼んだ。その中では、時間は不思議な流れ方をする。

「深く集中している状態では、雑念や邪念が一切消え去り、深い、森閑とした世界に身を置いた感覚である。…時間の観念もなくなり、短時間に多くの手が読め、『これだ!』という最終決断も早い。そういうときは、集中力の持続も長い」。

 こう語っているのは、羽生善治棋士である。職業柄、集中する機会が多いだけに、示唆に富んだ発言だ。集中と時間観念との関係についても触れている。このような特殊な心理状態は、スポーツではゾーンと、ジャズであればグルーヴ感とも呼ばれているものだ。