スポーツやゲームでも、とてつもなく難しいことをやろうとすれば人間は失敗するものだ。事実を覆すことは、これに似ている。

 もっともらしく聞こえる意見よりも、事実の方が断然に強い。

◇「世界を思いどおりにしたい」時は

 論理的に話し合う場面では、論理的に負けた方が敗北を認めざるをえない。だから、いきなり殴りかかってくるようなタイプではなく、「論理」という土俵で戦おうとする人は、実は説得しやすいのである。たとえ小学生であっても論理で勝てば、説得可能となるのだ。

 論理という道具を使えば、自分がどんなに不利な状況でも何とかなるものである。自分のやりたいことを押し通したい時こそ、論理的な手段は有効となる。

◇「好き・嫌い」は論破できる?

「これが好き」「これは面白い」といった「個人の主観による評価や判断」に関しては、議論しても意味がないと著者は考えている。

「私が好きだから、こうなのです」という言い方はビジネスシーンでも多い。たとえば、デザインやネーミングは、「好き・嫌い」をベースにしたもので「これ」という答えが出せない。これらに対していくらがんばって手直しを加えても、100点満点になることはない。だから、そうした分野はなるべく人に任せたいと著者は書く。

 しかし、会社の会議で商品デザインのA案とB案を選ぶ場面など、答えのない議論をしなくてはならないこともある。こういう時はシンプルに、統括的な立場の人に従うのも手だ。自身の好みはA案だったとしても、上の人がB案と決めたのなら、それ以上は無闇に反論しない。「好き・嫌い」には答えがないので、答えのないところでどれだけ戦っても、結局時間の無駄になってしまうかもしれない。それなら、責任ある人に任せるのが筋だ。

 もちろん「好き・嫌い」と感じる理由はあるだろうし、それをはっきりさせておくことは望ましい。なぜ上司はB案を選んだのかを考えて、自分なりに仮説を立てて対策しておくことが大切である。