職あれば食あり
【第39回】 2013年1月24日 まがぬまみえ [ライター]

日本人ミリオネアのランチはなぜ質素なのか

 食通で知られる文筆家は多いが、食の贅沢をして成功した経済人というのはとんと聞かない。日本ではむしろ、経済的に成功した人ほど「質素倹約」を強調したがる。

 その象徴が「メザシの土光さん」こと、土光敏夫氏だろう。ミスター合理化と謳われる経営手腕で赤字企業を立て直し、経済団体連合会会長などの要職も歴任、行革の推進にも力を注いだとして今なお多くの尊敬を集めている。

 そんな土光さんを経営者の鑑とあおぐ日本社会で、“成り上がり”のIT長者たちは受けが悪かった。「だから、日本にいた時はできるだけ目立たないよう、顔写真付きのメディア取材などもできるだけ断っていました」と語るのは、朝倉亮さん(仮名、40歳)だ。日本でITベンチャーを成功させた後、その売却資金を持ってシンガポールに移住したミリオネアである。

一晩で100万円使うこともザラ!?
ITバブルで月給11万円から300万円に

 聞けば、朝倉さんもかつてはかなり金遣いの荒い時期があったらしい。

「27歳から29歳までフリーランスのエンジニアをしていた頃は、食えない仲間たちを連れてよく飲みに行っていました」

 高級なシャンパンやワインを次々と開け、気がつくと、一晩で100万円使うこともザラにあったという。

「今にして思えば、感覚がちょっとおかしくなっていたんでしょうね。だって、その前は手取り5万円でカツカツの生活をしていたんですから」

 生まれ育った北海道から上京してしばらくは、ホテルの管理システムを作る会社などで働いた。月給は、およそ11万円か12万円だったという。寮の家賃を引かれると自由に使えるお金はほとんど残らず、食事もままならない日々が続いた。

 そんなどん底を経験した後のITバブル。食うや食わずの生活から一気に月300万円を稼ぎだすフリーランスになったのだから、金銭感覚がおかしくなるのも当然だ。

 当時、お金はあればあるだけ使ってしまっていたため、月300万円稼いでも「最後の10日間はいつもスッカラカンでした」と言う。狂乱の日々を送るうちに漠然と、「こんな生活はこれから先、そう長くは続かないだろう」と感じるようにもなっていた。

 案の定、2001年にITバブルは崩壊。嗅覚の鋭い朝倉さんはその直前に思い切ってフリーランスをやめ、イギリスとアイルランドに語学留学していた。

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まがぬまみえ[ライター]

1970年福島県生まれ。日本経済新聞社記者として7年半勤務。田舎暮らしに挫折し、なりゆきでフリーのライターに。「働くこと」「生きること」「人と組織の幸福な関係」を追いかけながら、 実は「働かなくても幸せに生きる」方法を探っている。労働経済学者、玄田有史氏との共著に『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』(幻冬舎)がある。

 


職あれば食あり

人は食べるために働くのか、それとも、働くから食べなければならなくなるのか。そんな素朴な疑問を解き明かすべく、さまざまな職業に従事する人々のランチと人生を追いかける。「職」と「食」の切っても切れない関係を解きほぐす、お仕事紹介ルポ。

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